スピリチュアル界隈の不幸合戦について思う事
happyちゃんで竹腰さん、早いですね。
https://ameblo.jp/sachitakekoshi/
まあ、私は自分を愛しています、I love meいいんじゃないでしょうか、ご勝手に。
ただ、自己完結の世界で視野狭窄に陥ってしまう信者様がたが社会に迷惑を掛けないようしっかり手綱を握っていてあげて下さいね。
貴女が自分を愛する事と、社会に迷惑をかけることは当たり前ですが別問題ですよ。
自尊心を高める事や自己肯定感を高める事と、反社会的な行動は別問題です。
自己肯定感がきちんとある人間は社会としっかり折り合いがつけられますし、社会にマルチではなく、しっかりと長期的利益を還元できますからね。
閑話休題。
ぶらぶらスピリチュアル界隈を見ていると、不幸合戦が凄いなと思う。
子供に障害が、発達障害で、HSPで、被虐待児で、エンパスで…
気の毒な身の上だなあと思う反面、大抵の人はいちいちそんな事言って回らないんだけどね、とも思う。
特に、エンパシーです、と言う人々を見ていて思うのが
果たして、本当に共感能力が高い人々が他人も自分も皆ちょっとずつ不幸だと言う事がどうしてわからないのかしらん、と言う事である。
目の前の人が明るく笑ってみせていても心の中で泣いているか怒っているのか、虚無的なのか、
わからないと思うのだが、エンパシーの人々はどこを感じ取るのだろう。
結局のところ目に見えるものや、感じ取れる空気でしか判断していないんじゃなかろうか、とやや疑問に思う。
それに対して敏感なのであれば、単にHSPのような気もする。
私もこの分野に関しては詳しくないのでこの辺りで。
スピリチュアル界隈の人々の思想信条ではなく、行動を見ると、
自分だけが傷ついている顔をして、痛い痛いと泣きながらも同じように平気で人を切り刻むような事をしている人が随分多いなあと思う。
また、皆、生きづらさを抱えながら這々の体で生きている中で、さも同情してくださいと言わんばかりのブログを見るとどうなのかなあと眉根を寄せてしまう。
普通に生きている人にとっては、その人が過去にどんな苦労をしていようが辛い体験をしていようが関係ない興味もないと思うし、
私達は不幸比べをしていきているわけじゃない。
スピリチュアル界隈の人々が見下している、
悟っていないと馬鹿にして笑っている普通の人々の方がずっと強いと思う。
人前で傷ついた顔をしない人間の方がずっと強いし、美しいと私は思う。
結局、あの界隈の人々は、不幸に酔い痴れるだけの余裕があるのだ。
勿論、意義ある発信をしている人々もいると思う。
ただ、スピリチュアル信者様界隈のブログは、被害者意識の塊を鴨にしたビジネスブログか
いつか誰かが不幸な私を救ってくれる悲劇のお姫様ブログが多いと思う。
無理にポジティブを装って健気さをふんわり加えたり、天使とか龍とか神さまとかとお話しはじめたり、カウンセラーとかヒーラーとしてお役目を果たす清廉さを加えたりなどバリエーションは豊かであるが。
なんだかなあ〜、と思う。
いつかスピリチュアル信者界隈の方々の分類でもしてみようかな、と考えている。
世の中で一番不幸になりたければ、どうぞどうぞ、である。
幸せになりたいと言って、何にもせずに助けを待ち、ただひたすらに辛い状況に耐え忍ぶのは美徳ではなく、阿呆だと思う。
辛い状況だと気がついたならば最善を選択できる努力を。
私はそう思う。