信者様の思考傾向について思う事
心屋心理教教祖様の信者様やキラキラハッピー教祖様の信者様を見ていていくつか共通点があるようなので、記しておく。
もう少しデータが集まったら分類もしたいと思っているのだが、
いかんせん仕事や勉学で時間が取れないので、いつになるかわからない。
その為、これは単なる覚え書である。
1.教祖様と自分を自己同一化している。
2.感情と思考を同一視している。
3.事実と理想の境目が曖昧である。
(ある一面において認知の歪みがある
ように思われる)
4.二元論思考にとらわれている。
(正誤、善悪、正義と悪など極論に走りやすい傾向が強い)
5.基本的には自己の内面感情に思考や行動が支配されている。
ただし、快、不快の二元論思考に陥っている為、極端な行動に走りやすい。
6.客観視が苦手である。具体的には二人称的、三人称的な判断が出来ない事が多い。
7.自らの思考で判断する事を放棄している。教祖様の教え、もしくは自らの感情のみで判断、行動する傾向が強い。
8.思想が先鋭化しやすい。
まあ、皆様方素直で優しくて共感性に溢れた情緒的な方が多いのだと思う。
それは人間的に豊かで素晴らしい点だと思うし、素晴らしい美点なのでなくして欲しくないと思うが、
一方で、私が気にかかるのは、感情と思考を切り離して考えられないという、
思考の引き出しの乏しさにある。
感情でしか物事を考える事が出来なかったり、判断できないのは
人柄どうのではなく、
社会人として生きるのは大変になる事だろうと思う。
社会には様々な人がいて、組織の中で働くのならば、ヒューマニズムより、利益を優先せざるをえない事もあるだろうし、
悪意に満ち溢れた人々が自分の利益のためにヒューマニズムなどかなぐり捨てて、虎視眈々と舌舐めずりしながら獲物を待っている事もある。
皆善良でいい人しかいないのならば戦争は無くなるはずだし、犯罪などあり得ないだろう。
現実としてそれらは実際にあるのだから、私達はヒューマニズム的な観点以外からも物事を観察したり、判断したり、思考しなければならない。
それが、必要な世界に生きているのだから。
それも出来ずに脳内お花畑で生きるのもまあ、自由なので好きにしたら良いと思うが、もし、自分でも自分の思考力の乏しさに気がついていないのならば随分と気の毒だと思う。
間違いなく、ただの良い鴨である。
だから、私はしつこくも教養を身につけろと言い続けるのである。
教祖様が私に依存しないで!と言っているからいい人なの。と言う信者様の意見を拝見したのだが、
なぜ、教祖様が依存しないで!と言っているのか、教祖様視点でも是非考えて見てほしい。
それは、
何かあっても私は責任取らないよ、だって自分で判断したんでしょ?
と言う意味かもしれないし、
実は自分の理論に自信が持てないのかもしれない。
勿論、自分で考える事が幸せに繋がると言う意図があるのかもしれないのだが、
だったらそう書いてやるのが親切ってものじゃないかと私は思う。
その言葉自信が依存を誘う危険性があるだろう。
状況から判断しても、責任回避の意図があるだろうな、と私は判断した。
だいたい、自分で決めて自分を生きるのならば教祖様などいらない。
必要なのはせいぜい教祖様が記された経典くらいじゃないのかと私は思う。
素直に言葉を受け取れるのは人として素晴らしいと思うのだが、
受け取る言葉の背景を想像する力や、
受け取る言葉を自分がどう活かすか考えられる力がなければ、
ただの教祖様の思想をコピーした鴨にしかならない。
別に鴨で幸せならば、それはそれで良いと思うが、搾取されて養分になっている自覚は持ってほしいと思う。
情報を精査する力を養い、広い視点で物事を考える力をつけてほしいと思う。
何故、何故と考えなければ、
自分を生きる事すらできず、教祖様を自分と勘違いしたまま劣化コピーとして生きる羽目になるだろう。
まあ、それも一つの生き方だし、私は人の幸せを取り上げてやろうなんて思っていないので、ご自由にどうぞ。
ただ、あなたの周りに不幸な人が生まれない事を私は祈るだけだ。