音楽と芸術
先日、とあるバンドの初ワンマン、初全国ツアーの第一回に立ち会った。
知人の紹介である。
私は彼らを知らなかったのだが、帰る頃には彼らの作る音楽をすっかり気に入っていた。
完売御礼の会場は、客もステージ上の彼らも初々しく、MCの不明瞭さだったり、ここで乗ったらいいのかな?や、レスポンスのタイミングどうしようかな?などの戸惑いはあれども、
全体的に非常に素晴らしいライブだったと思う。
初々しさやたどたどしさをカバーしてなお、彼らの音楽は素晴らしかったし、伝えたい熱量も十分だった。
音楽性も良かったので、彼らの歌が多くの人々に届くといいなと思う。
みずみずしさや煌めきのようなものを感じられる音楽はなかなか出会うことが出来ない。
善かれ悪しかれ、長く音楽を続けていくうちに、誰もがこなれてしまうから。
音楽に限らず、芸術は大抵その問題を抱えている事が多い。
本来のみずみずしさや煌めきを持つものに出会う貴重な経験が出来た事を嬉しく思うし、
出来れば多くの人々が本物に触れる機会が増えれば良いなと思う。
スピ界隈はどうにもそのみずみずしさや煌めきをハリボテで作り上げる事が多く、
そのクオリティの低さは語るまでも無いのだが、
(何しろ中身が無いのだから。)
そのハリボテに騙される人々がいるのもまた事実なのだ。
多くの人が良きものに出会う事ができると良いのだけれども、なかなか現状では難しいのかもしれない。
ライブや演劇には実際に足を運ぶ価値が有り余るほどの何かがある。
エネルギーと呼ばれるものかもしれないし、それが何かはわからないけれども、インターネット越しではわからない何かがある。
人が発するエネルギーや情熱を五感で感じられるからだろうか。
ぜひとも足を運ぶ事が出来るのであれば、本物に触れる機会を増やして欲しいと思う。
なかなかそういった環境が作れない方もいるかも知れない。
そういった方には博物館や美術館もおススメである。
博物館や美術館はそれぞれの展示物の順路に意味がある。
それを考えながら観るのも楽しいし、歴史を振り返りながら、手間のかかる工程や微に入り細を穿つような装飾に注目するのも面白いと思う。
別に何にも感じなくても良いと思うし、楽しみ方は人それぞれであるのだが、
本物に触れる機会を増やす事が、教養を高めるだけではなくて、自分を守る事にも繋がると私は思う。
何だかんだで人は芸術を愛さずにはいられない傾向があると思う。
生きるか死ぬかの瀬戸際にいる時にふと流れてきた音楽に心が解ける事もあるし、死にたいくらいに辛い時にも何故か両目に映る景色の美しさを感じる事ができる。
素晴らしい絵画からアイディアが浮かぶ事もあるし、演劇や文学作品から私達は多くの人生を追体験する事ができる。
それが本物であるかどうかを見極める事が大切であるのだが、
芸術的観点から言えば偽物であろうと、粗悪品であろうとも、心を揺さぶられる何かがあるのならば、価値があるだろう。
スピ界隈がたとえハリボテであろうとも、粗雑なものであろうとも、幸せな人々に水を差す事は無粋な事なんだろうなと思う。
ただ、無粋であろうとも、おかしな事はおかしいし、価値がないものを価値があるように見せかけるのはやはり美しいとは言い堅いのでこうして記す次第。
新しい彼らのバンドは果たして成功するのだろうか。
去年初めて紅白及びテレビに出演した事で話題になったあるアーティストが
キャパ700人程度の小さなライブハウスで歌っていた頃に感じたものと類似の煌めきを感じたが、彼のとげとげしくも激しい毒々しい呪いのような煌めきに比べると、
それはそれは小さくか弱く儚い煌めきであったので、この煌めきがどうか大きくなりますように、と祈らずにはいられない。
またそういう繊細さが彼らの音楽の良さなので、あまりに激しくなるのも、何だか違う気がする。
まあ、次々と新しいアーティストが生まれてくるのも、私達がみずみずしい煌めきを愛さずにはいられないからかもしれない。
願わくば、彼らの音楽に良き道を。