民主主義と立憲主義とスピ界隈

スピ界隈やSNS界隈は民主主義だなあと感じる事がある。

 

民主主義とは超訳すれば多数決の世界であり、数が力を持つと言う意味で、私は界隈との類似性を感じる。

 

生きている人間の多くがよしとするならばそれが正となる世界であるからだ。

 

立憲主義とは、いやいや、とはいえ民意のみでは良くない方向に行くこともありますよね、だから過去の失敗から学ぶと言う意味で、ルールを決めてルールに則って民意を反映していきましょう、と言う考えである。

 

良く憲法改正について話題になるが、この立憲主義において、憲法はその大元のルールになる訳である。

 

そのルールを変えるか変えないか、と考えてみれば、憲法改正の大切さがわかるのではないだろうか。

 

戦争する、しない、ではなくて、民主主義と立憲主義によって、今、たくさんの人暮らしているこの日本のルールをどうしようかと言う観点で

 

様々、それぞれが考えられるといいな、と私は思っている。

 

どんな風にして、今の憲法ができたのかな?

これからの日本がどんな風になったらみんなが暮らしやすいかな?

そのためにはどんなルールがあったらいいのかな?

 

と、一度でいいから是非とも考えて見てほしい。

 

大切な事は一つの偏った意見だけを盲信せずに、様々な意見を見たり聞いたりする事である。

ただこれは感情を動かしすぎるとなかなか難しいのでできるだけフラットに見るのがいいと思う。

 

雛の刷り込みでないのだから、どうか一番最初に目にした極論だけを信じ込むのはやめて欲しい。

 

スピ界隈もそうなのだが、辛い時にスッと心に入ってきたものを、心が強く揺さぶられたものを信じ込むのは危険である。

 

それはあくまでも一つの意見であり、物事の見方であり、あなた自身の意見でも見方でもない事を重々承知すべきである。

 

民主主義の暴力性は感情に異様なまでに左右される点にある。

ナショナリズムしかり、感情論が必ずしも幸福へ導いてくれるとは限らないのだ。

感情論は極論に走りやすい事を私達は理解していなければならない。

 

立憲主義は死者による主義と言われる事がある。

なるほど民主主義は今生きている人間たちでのみ成立するものであるし、立憲主義は過去の先人たちの学びからルールを決めているのだから、その通りなのだろう。

 

今を生きる事を私は否定しないし、スピ界隈でよく言われる、今しかないと言うのも、否定しない。

 

だが、私達の安全や安心や便利や快適が過去の先人達の墓標の上にあることも忘れてはならないのだ。

 

今しかない、のは自分視点のみの、ある種のエゴイズムを内包しているのだ。

 

今が連綿と続き、だれかの人生の今の積み重ねの上に、自分自身の今があることを忘れてしまってはいけないよな、と思う。