民主主義をちょっと詳しく
昨日、民主主義は超訳すると多数決の世界になりますよ、と語ったのだが、
もう少しだけ詳しく語ってみたいと思う。
あるインタビュー記事によると、
「世界には、ひとつとして同じ民主主義はないことに気づくべきだ。
たとえば米国の民主主義はキリスト教的価値観に基礎を置いている。
エジプトで生まれる民主主義は、イスラム教の考え方や文化に基づくものになるだろう。
「自分たちが望ましいと考える民主主義と違うから、あれは本当の民主主義ではない」と言うのはおかしい。」
との事。私もこの意見に賛成である。
では、何故そう考えるのかと言えば、
大辞林から。
「【民主主義】 〔democracy〕
人民が権力を所有し行使するという政治原理。
権力が社会全体の構成員に合法的に与えられている政治形態。
ギリシャ都市国家に発し、近代市民革命により一般化した。現代では、人間の自由や平等を尊重する立場をも示す。」
つまり、一人ひとりが権力を同じくらいに持っていますよ、だから数が力を持ちやすいんですよ、ということである。
また、一人ひとりが同程度の権力を持っている場合、その文化圏によって民主主義の形がかわるのも宜なるかなである。
文化圏によって価値基準は違うのだから。
まあ、民主主義というものの背景には、一人ひとりが同程度の権力を持っていない事が当たり前であったという背景があるわけで、これがなかなか、果たして日本の文化に民主主義が合わないのではないかと思ってしまう部分にもなる。
それは、いちいち差別を無くそう!と言わなければ無意識的に差別をしてしまう文化圏と同じものを感じる。
一万円を出せば日本ならば、何処へ行っても一万円のサービスが受けられる。
日本人にとっては当たり前すぎて一体なにが素晴らしいのかわからないと思うのだが、差別が当たり前に存在する国では、一万円を出しても同じサービスを受けられない事が当たり前なのだ。
それって実はすごい事だよね!と海外の友人に言われた時は正直こちらが面食らった。
数字の価値が差別意識によって歪む程なのかと驚き、また我々日本人にはなかなか理解できない根深い問題なのだなと思わされた。
日本人がふわふわ語る民主主義や差別は根幹のところが理解できていない事が多く、実際にそれらの問題を抱える人々のその部分に触れる度、結局は日本人はお花畑理論を語る事しか出来ないのだなあと思う。
それだけ幸せだと言うことに多くの人が気づくと良いと思うし、
馬鹿みたいな似非心理学やスピリチュアルにしがみつく位ならば、
まともに
自国の事を学ぶとか
他国の事を学ぶとか
実際に足を運んでみるとか
話を聞くとか
生産的な事をすれば良いと思うし、セミナーだ、イベントだ、にお金や時間を使っているのは命の無駄遣いだと思うからやめた方がいいと思う。
何故なら民主主義の成功のためには一人ひとりが教養を高め成熟する必要があるからである。
さあ、学べ、集めて、精査せよ。
民主主義は胡座をかいている暇がない。
我々一人ひとりが国を創り上げているのだから。