キラキラハッピーイベント考

キラキラハッピー教祖様、ダンススクールの講師の方を日本にご招待して踊って頂くんですね。

 

相手の時間も技術も提供して頂くのですから、今までのような中途半端な地方の幼稚園のお遊戯会レベルのイベントではいけませんよ。

それが自分が素晴らしいと思ったものへの配慮と尊敬の示し方です。

素晴らしいイベントにしないと。

 

冗談抜きで、キラキラハッピーなイベントごとにお友達が居なくなるのは、ひとえにそのリスペクトが足りないからだと私は思いますよ。

 

このブログで他人を批判ばかりするのもなあと考えているのだが、

やはりやり方を間違えているんじゃないかなあという教祖様界隈を見ていると、

ついつい口を出したくなってしまう。

 

人のやり方に関してああだこうだと批判ばかりしている自分にも辟易するし、

私も反対意見ばかりを好んで書いているわけではないので、本当にそろそろマトモなイベントであったり、マトモな話をして欲しい。

 

いい歳こいた大人達がきゃっきゃうふふ脳内お花畑で少女漫画のような世界観の中でヒロインごっこすること自体を否定するつもりはないが、

 

現実世界で生きてるのだから、そのひずみはどこかに皺寄せとして現れるわけで

それを考えると見なかった事にして口を噤んでいるのもなあ、と思いついつい小言を書いてしまう。

 

最近引いたおみくじで、慎みなさい、心がけ一つで善事が悪事に、不利が有利になりますよ、とあり。

 

その心がけがなかなか難しいのだよなあと思う。

 

私達は互いのお陰様で生きている。

 

キラキラハッピー教祖様界隈を私はあまり快く思っていないが、彼女のあのお花畑界隈に救われる人々がいる事も事実であるし、何がどうあれ、彼女達の存在自体には感謝をしなければならないと思う。

 

まあ、私にとっては、反面教師ありがとう的な意味合いが強いし、良きサンプルだから観察させて頂きまして感謝致します的な意味合いなのであるが。

 

実践の姿をもって感謝というのが肝要なのだと知ってはいるものの、

こうして偉そうに言葉になければ直ぐに忘れてしまう上に、実践しなくなってしまったりで全く困った事である。

元来怠惰な性分なのだろう。

 

また、ガチで宇宙だのスピリチュアルだの、魂の向上だの、龍が神がと語るのならば、それに見合う行動をしなければならない。

 

私はほんのり、そのガチ界隈の尾ひれに触れたに過ぎないのだが、

それはそれはなかなかに険しい苦難の道である事は間違いないだろうと思っている。

 

そして、少しでもガチな世界に触れたのならばミスリードがどれほど恐ろしいか知っていると思う。

 

だから、あまり公に様々なガチスピリチュアルが出てこないのではないかなと私は思っているし、

 

某船井氏しかり、海外の天使とスピリチュアルなカードの生みの親しかり、

ある時突然、手のひらくるりで、自分が間違っていたと宣言するのだと思う。

 

多分何がしかの忠告なりなんなりがあったのかもしれないし、

感じるところがあったのかもしれないが、

なかなかどうして手遅れなような気もするし、まあ、私にはわからない。

 

が。

 

役割を与えられない人間がスピリチュアルなどに関わることは、やはり自殺行為だからやめたほうが良いなあと思う。

 

私も自分が知っている事を伝えようとは思わないし、伝える役目の方にそこはお任せしたいと思う。

スリードが怖いから。

 

結構、その辺ガチ界隈は見逃さないし、即断罪のシビアさがあると思うから。

 

アメスピ界隈だと、神社や龍を語る人々や、笑える教祖様がヤバそうだが、生きているうちに、チャンスが与えられればまだマシかもなあと思う次第。

 

まあ、私も慎ましく生きるしかないし、コツコツ前向きな姿勢で過ごしていきたいと思う。

 

ガチなスピリチュアルと無縁な人生こそが神からの福音であるし、そんな能力を求められるのも与えられるのも別に特別ではなく、単なる役割だと、なんなら貧乏くじだと私は思う。

 

だから、神を語るモノの末路は悲惨なんだろう、なんてね〜。