酸いも甘いもスピ系も

すいもあまいも、善も悪も清濁も合わせて世界は作られていると思う。

 

綺麗は汚い、汚いは綺麗はシェイクスピアなわけだが、まさにその通りだよなあと私は思う。

 

スピリチュアルにハマる人々やポジティブ教の方々はこのカオスを理解していないし、実感していない人が多いと思う。

 

前向き、ワクワク、ポジティブに自分の好きなことを自由にしていれば

 

なんでも手に入るし、人生は楽しく広がっていくと言うも、

 

弱者やマイノリティの気持ちに寄り添っていきやすい社会をつくるべきだと理想論に生きるのも、

 

まあ現実が見えていないよなと言う点では同じである。

 

弱者やマイノリティが生まれる背景には、そもそもの心持ちや本人の問題がある事も見逃してはならないし、

 

まあ、それだけが悪いわけではないのだが、一方的な擁護論ばかりを語る人々を眺めていると、ああまた、被害者意識で自己正当化しているなとしか思えない。

 

大切なのは清濁を眺めて、合わせもち。それを判断できる力をつける事である。

 

私もこのようにご高説を垂れているが、また大した事のない人間である。

 

ただ、スピリチュアルや神に救いを求めたり、人生の意味合いや、自分自身を求めるのならば、

 

現実世界の雑多さを楽しんだら良いのになあ、楽しいことを見つけるのが苦手なのかな、と思ってしまう。

 

コンテンツは無限にあるし、たくさん作り出されている。今は地方も都内も変わらずに楽しむことが出来るし、娯楽がこれほど充実しているのはやはり豊かさの象徴だと思わずにはいられない。

 

景気回復の実感を私はコンテンツの豊かさから感じる。

 

不景気な世の中ではコンテンツが生まれないし、広がらず、娯楽は先鋭化するばかりだからだ。それは貧しさの象徴だと思う。

 

今の娯楽の豊かさこそが、心の豊かさにつながるといいなと私は思う。

 

と、言う事で私も猥雑な雑多さを楽しみたいと思い、池袋に足を運ぶ予定である。

 

ローランド展とラムちゃんカフェ楽しみだわ。