原因と対策
物事には大抵原因がある。また、人生とかスピリチュアルとか壮大な観点から見ても、因果の因があるわけで。
推理小説で言えば動機であるし、数学的に言えば前提条件や定理と言ったものだろう。
心屋心理教教祖様は前世で人生を決めてきて云々と言う教義をお持ちのようであるが、
それは悩んでいる人にこれが原因だったのだよ、とわけのわからない、証明不可能なアドバイス?をしているだけで、
現実的な対処法や対策を伝えているとは思われない。
当たり前であるが、原因と対策は別である。
なぜ我々が原因の究明や原因を知りたがるかと言えば、
責任の所在をそこに押し付けるためなどではまるでなく、
単に有効な対策や対処法を考える為の情報が少しでもいいから欲しいから、である。
前世云々、生まれる前の世界云々を持ちだされても。
まあ、例えばそれが真実であったとしても。
じゃあ現実的にどうしようかと考える事が出来なければ意味がないし、そもそもカウンセラーやセラピストに多くの人が求めているのは現実的にどうサバイブしていくかと言う具体的な方策のようは気もするのだが。
結構不親切なカウンセラーだなあと思う。
モルヒネ的に痛みを散らしても、ガンが無くなるわけではないのだし、麻酔で痛みを感じなくても血は流れ続けているのだ。
いづれの時にかなんとかしなければならないのならば、モルヒネ、麻酔、麻薬で恍惚ハッピーしている場合ではない。
推理小説の例えで言えば、殺人の動機がどうであれ、死体が目の前にあるのならば何とかしなければならないし、自分の罪が明らかになったのであれば、殺人の動機がどうであれ、これからの現実とはある程度は切り離して考えなければならない事なのだ。
原因を知れば対策ができるのは間違いないが、原因が分からなければ必ずしも対策が取れないわけでもない。
ご先祖様の因縁が、前世からの宿命が、生まれるまえのブループリントが、を否定する気はないし、ファンタジックで面白い考え方だと思うが、
それにしたって圧倒的な現実があるのだからそちら側に比重を置くべきではないかなあと私は思う。
ファンタジーは心をどこか遠くの広い世界に連れて行ってくれるものだからついつい惹かれてしまう気持ちもわかる。
だが、ファンタジーの作家たちの目の前にあるのは真っ白な原稿用紙や広大な白いブラウザ画面なわけで、その圧倒的な現実を前に産みの苦しみを味わっているのである。
それが私達と地続きの現実で起きている事だし、それが現実である。
どうしようもない圧倒的な現実を前に右往左往しながらも対策を練り、実行をしていかなければならないのだから原因に足元をすくわれる事無かれ、である。