意見を変えないという強欲

自らに正当性や正義があるのだと信じこんでいる人々と私は基本的に対話をしない。

何故なら大抵の場合それは無駄に終わるから。

 

徒労に終わるとわかっていてやる事は無いのだし、私の体力気力時間にも限りがあるので基本的には放っておく。

勿論、問題が生じない範囲で。

 

正義には感情が伴う。

感情的な人間と、事実に即した会話は出来ない。ただ、事実に即した会話をする場合でもやはりある程度相手の気持ちを考える必要があるのだが。

 

受け取り手を踏まえない会話は、あまり素晴らしいとは言えない。

 

ギュッと拳を握りしめて、自らの正義を手放せない人間は何も作り出す事が出来ない。

アウフヘーベンは、異なる意見どうしからしか生まれないのだから。

 

自分の正当性を

自分の正義を

自分の意見を

認めて欲しい、異論は認めない、

 

自分の思うとおりに他人に

思って欲しい

動いて欲しい

やって欲しい

言って欲しい

 

というのは物凄く強欲であり、物欲を遥かに凌駕する図々しさがある。それは、他人の不可侵領域を侵し、奪う強欲さがある。精神の自由も選択の自由も本来ならば誰であれ侵すことは出来ないはずなのに。

 

毒親と呼ばれる人々はおそらくこの領域を簡単に侵してくるのだろうなと思うし、

子供を守りたいと言う愛情は時として子供が別の人間であるという相手の尊厳を奪いかねないと思う。

 

子供を育てる事は本当に大変だと思う。

 

ただ、その愛情や庇護が過剰であったり、あるいは愛情はあるけれどもムラがあり子供を振り回してしまうようであれば、それは親側に問題が随分とあるのだろうなと思う。

 

あなたの為にという強欲がその子を苦しめるのかもしれない。

 

結局は親子だろうと夫婦だろうと他人なのだし。

 

自分と違う意見や意思があって当たり前なのである。

 

倫理や道徳を脅かさないかぎりは、自分の正当性や正義を持って意見を変えないと言うのは単なる強欲だろうなあと思う。

支配欲や承認欲求。

 

愛情で包んでみても中身は単なる強欲に過ぎないだろうなと思う。

 

まあ、何を選ぶのかは自由だけども。