才能は必要であるか否か。
最近、教祖様界隈以外でも、とにかく好きだからやる!という向きがある。
それ自体は否定する気はさらさらないが、周りに迷惑をかけてまでやる必要は無いし、スキルもないのに高銭稼いでやろうという図々しさに呆れてしまう。
ビジネスにだって、センスは必要だ。
当たり前だが。
たまに驚くのだが、百貨店にも関わらず接客に向いていないな〜気分で仕事しているな、という人も居るし、
お金を扱う仕事なのにどうしてこんなにルーズなのかしら、という人も居る。
デザイナーなのにどうしてこんなにクライアントのイメージを具現化できないのかしらという人も居るし、
あ、上手だけれども全く光るものがないなという芸術家も多い。
向き不向き、才能の有無は、残酷なようだが、必ずある。
私は教祖様がたが、何故か色気を出し続けるエンターテイメント、歌手、女優業について、彼ら彼女らが一切天与の才を与えられていないなあと感じ、悲しくなってしまう。
人様からお金を毟りとってまでやりたい事なのに、一切才能がないなんて、悲しすぎる。
完全に自己陶酔できる某サイエンス系ハピネス教の教祖様の方がまだ俳優の才能を感じる。
彼ら彼女らには教祖様の才能はあったのかもしれないが、エンターテイナーとしての華もなければ、声に力もなく、張りもない。歌や踊りにも光るものがない。
およそ、人を惹きつけるような魅力が無いのだ。
エンターテメントの世界はコネが無ければ美貌はもとより、カリスマ的な圧倒的才能がなければならない。
悲しいかな。
そして、それらがあっても、時代とマッチできる運がなければ、大衆に愛される事は無い。
かわいそうな信者様方は阿呆な教祖様の教え通りにやりたい事をやり、時間を、本来別にある才能を無駄遣いしていくのだろう。
悪い事は言わないから、才能が無いとわかっているならば、無いとわかってしまったならば、方向転換をする勇気を持って欲しい。
それが本来の自分自身であるのだから。
適材適所で生きる事は世の為にも人の為にもなる。
才能があっても地獄のように練習したり、勉強したり、アップデートしなければ、時代は簡単に掌くるりを強いてくる。
参入障壁が低い業界であればあるほど、やれば何とかなると思えてしまうが、
実際には参入障壁が高い業界の方が随分と親切である。無駄な時間もお金も消費せずに済むのだから。
才能は、必要である。
適材適所で全ての人が生きていく為に。
ま、それが本人の幸せかは別なのだが、どのみち自分以外の何者にもなれはしないのだから、夢を見るのもほどほどに。