外国の人々との付き合い方
私はプライベートでもビジネスでも日本人以外と話したり交流する事がある。
まあ、海外生まれだろうが、日本人だろうが、基本的には相手の人格を見て付き合っているので、外国人が増えてどうのとか、偏見差別がどうのとか、あまり考えた事がない。
真剣に討論している人々には申し訳ないのだが、ああ、あまりそもそも海外の方との交流がないか、あまり海外に行く事がないかたの意見やお話し合いなのかなと思う。
外国人であるとか日本人であるとかはその人となりを作る上でのベースになるかもしれないのだが、
基本的には単なる属性である。
チャイニーズだからうるさいとか、
コリアンだからファビョるとか、
イギリス人だからシニカルだとか、
フランス人だから気取り屋だとか、
イタリア人だからナンパだとか、
そんなことは一切ない。
いい切ろう。
私にはこんな友人がいるからだ。
静かで知的なチャイニーズ
礼儀正しく穏やかなコリアン
優しく素直なイギリス人
シャイで純粋なフランス人
真面目で誠実なイタリア人
みんな優しく穏やかで素直で誠実で心地よい時間を過ごす事ができる。
というか、時々どこの出身だか忘れるし、わからなくなる。母国語を話す姿を見てああそういえばとなる。
外国人に嫌な思いをさせられる、させられたのではない。
単に、目の前の相手に嫌な思いをさせられた、させられるのである。
他人同士なのだから、言葉にしなければ、相手に不快や不安は伝わらない。
excuseエクスキューズ、と大変不快な表情を作ってうんざりするポーズをとれば、大抵の人間はおとなしくなる。
それもせずにぶちぶち文句を言うのは単なる察してちゃんであり、コミニュケーションにある種の不全を抱えているようにも思う。
ここは日本なのだから空気を読め??
じゃあ日本人すべてが空気を読んで日本で生活しているとでも??と思う。
日本人だろうが外国人だろうが思いやりや空気を読む事ができる人はできるし、出来ない人間は出来ない。
コミニュケーションを取る気もないのに、取ってもいないのに、よく胡座をかいたような言い方するもんだなあと思った。
もちろん、不快を伝えたのに対応しないのは害悪である。
クルド人の少女がイジメにあったとの記事を見て、私は大変不快になった。
彼女がイジメられた理由がクルド人と言うことであれば、日本人である事を恥じろ、日本人だからイジメていいのだと言われても仕方ないのだぞ、と思う。
また彼女を助けない大人たちは一体なんなのだろうか。ひょっとして、川口市とクルド人コミニュティの間に驚くべき軋轢があるのでは?と思う。
だとしても、不当な扱いをしていい理由にはならない。そんなこともわからないのならば、そんな自分のモラルの低さを恥ずべきである。
では信者様方や教祖様方を揶揄する私のブログは恥ずべきものではないか?レッテル張りのレイシズムでは?
と思うかたもいるかもしれないが、
国籍と教祖化信者化は違う。
現実問題として、生まれてくる姿や国は選べない。本人に責任はない。
そこを揶揄する馬鹿馬鹿しさや、それを理由に差別する事と、
自分の弱さや未熟さを直視せず、自ら
望んで地獄に落ちる人間を揶揄する事は違うと私は思う。
教祖様がたを、信者様方を揶揄するのはいいかげんに弱さ未熟さを克服する努力をしろとか、地に足つけろという檄を飛ばしたいという意図がある。
傷の舐め合いしているうちは弱々しくつけ込まれるだけである。
まあ。
とりあえず、友達を増やせばいいんじゃないでしょうか、というオチで。