難民問題考

いずれの時にか難民問題が出てくるかもしれないなと思う。

 

某国の人々が日本に帰化するための要件がここ数年で今までよりずっと厳しくなっているようであるし。

 

どの民族で生まれるかは選べない。

 

だが、どの民族で生まれてきたとしても、祖先を敬い感謝し、違う民族にリスペクトを持つ必要はあるだろう。

 

韓国人だと言うだけで、ヘイトするのは良くないが、彼らは非常に面倒くさいのでかわいそうだから仲良くしましょうと、甘い顔をしてはいけないと思う。

 

依存心と怨嗟の感情が強い国民性を有しているのだから、適切な距離で仲良くするべきだ。

距離さえ間違えなければ彼らは非常に温かく、真面目であるのだから。

 

私は仲良くする為に、距離を置くべきだと考えている。

 

中国では様々な少数民族弾圧の事実がある。

今現在も、ナチスによるユダヤ人ヘイトと同じ、或いはより劣悪なことが行われている。

 

https://togetter.com/li/1398032

 

https://www.google.co.jp/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASM7B2TQDM7BUHBI00T.html  

 

https://www.amazon.co.jp/高僧の生まれ変わり・チベットの少年-イザベル-ヒルトン-Isabel-Hilton/dp/4418015167

 

パンツェン・ラマは恐らくこの世から消えた。

ダライ・ラマは彼が最後の一人になるだろう。

 

愛を信じすぎたが故に、人の醜さをその醜悪さを知らなすぎた為に。

 

私は移民の受け入れに反対する立場をとる。

 

移民を受け入れられる程現在の日本は成熟していないし、豊かでは無いから。

 

誰かを助けたり、受け入れる為には余力が必要である。

 

それが今の日本にあるとは思えない。

救いを求めてくる人々はそれこそ命がけだから必死にしがみついてくるし、

 

誰かを助けて誰かを救えないとなった時に、その判断が必要になった時に、

その重圧に耐えられない日本人がどれだけいるのだろうか。

 

杉原千畝の行為は素晴らしいものであるが、それは当時の世界にまだ難民を受け入れるだけの余剰があり、かつ、彼らが世界各国に散らばることが出来たからである。

 

(ちなみに私は、樋口季一郎も同じくらいかそれ以上に評価されるべきだと思っている。

 

https://bushoojapan.com/tomorrow/2019/08/20/103374

 

今彼らと同じ行為を外交官がしたらどうなるのだろうか。

それを受け入れるだけの余裕がある国は存在するのだろうか。

その行為は善意の国を苦しめはしないだろうか。

しかしながら、そこまで考えた上で行動しなくてはならない。

 

私は移民が存在しない世界を願ってやまない。

 

誰もが生まれた場所で、先祖や自分の民族に誇りを持ち、互いにリスペクトしながら生きる事が出来るようになるべきだし、そうなって欲しいと思う。(あんまりにも不便な場所は考えものだけれど。)その上で、自由に行き来しながら住む場所を自由に決めて行けると良いなと思う。

 

韓国人には、他民族と比較する事をやめ、自分の民族に誇りを持ち、今の難解な状態から自分達の力で立ち直って欲しいし、難民として他国に依存しないで欲しい。

愛国心はその時に発揮して欲しい。

他国と比較しなくても、素晴らしい部分がきっとあるだろうから。

 

ただ、今弾圧を受けている少数民族に関しては根絶やしにされる前になんとか受け入れ先が無いものか、日本でも受け入れられないか考えてしまう。

彼らは土地と民族である事を奪われ侵害されているのだから。

 

恐らく難民が増えるであろう世界の中で、民族の在り方を考えてしまう。

 

日本人に生まれた事を恥じて、悲しむ事なとないように、誇りを持ち生きていきたい。

 

そして、同じようにどの民族であっても、その出自如何に問わず、恥じる事、悲しむ事などあってはいけないし、そう思わせてはならないと思う。

 

香港の人々が何を恐れているのか。

アイデンティティの為に、迫りくる民族浄化アパルトヘイトから逃れる為に、知的に冷静にでも情熱的に。

 

今夜もまだきっと香港は燃えている。