互助精神と図々しさ

困っている人がいるのだから助けてやってもいいだろう、それもせず説教するなんてあんまりじゃないか。

 

と、言うのが私が常々うんざりさせられる開き直りの弱者のいいぶんであり、

私が常々理解し合う事など出来ないと考える、自称愛情深い強者の弁である。

 

何かを護ろう、守ろうだなどと言うのは非常に図々しい事この上ない。  

 

そんな事を語る暇があるくらいならば自分の未熟な精神をまずは救いたまえよ、と思うが親切に忠告してやるほど私は鷹揚な人間でもない。

 

少年漫画脳ファンタジーを現実世界に持ち込む大人ほど面倒くさいものはない。私は物語を好むが、少年漫画の害悪はその様な友情努力勝利、正義に勇気に希望と仲間達、愛情と武力絶対主義のアホを量産する所にあろう。

 

正義が存在する世界とはなんと単純な事か。

 

物語を物語として読めない人間は物語を楽しむ資格がない様にも思うが、得てしてそういった類いの人間は現実逃避の手段として物語を好む。

 

強いものが弱いものを助けるのは一種の義務であるが、それは、

自分も弱いものも守る事のできる世界での話である。

 

最低限生き延びる事が出来、ほんの僅かの余力でなんとか誰かの手を引ける程度の世界での話。

 

だが、それ以上は分を超える。

 

だから、自分以外のものが襲われても傷ついても助けに行く事など、したくてもできないのだ。

 

それを薄情だと言う人もいるだろうが、薄情だろうが何だろうが、現実的に考えればそれが精一杯なのである。

 

 

誰かが分を超えて助けてくれることを信じている時点で、あるいは誰かを支えていることに満足を覚える時点で

 

自立出来ない共依存人間であり、立派な地雷である。

 

平気で他人の分の領域を侵害してくる浅ましい人間である。

 

他人に何かを求めたり、自分の正義を貫く為に周囲のおおくの人々の事を考えられなくなる時点でもう図々しいというか何というか。

 

互いにリスペクトを持ち生きていく為には最低限でも自立していなければならないだろう。

 

でないといずれどこかの国の様に、世界から孤立するだろう。

 

ボランティア活動を私は否定しないが、自主的にしようとは思わない。

 

それは今の私の生活の分を超えるから。

余力を何に使うかは私自身が決めることであり、他人にその領域を侵害されることを好まないから。

 

台風被害の自己満足のリツイート、拡散も良いだろう。私のタイムラインにも随分流れてくる。だが、もっと別の形でできる事があるんじゃないだろうか。

 

私ならば、タイムラインをにぎわすよりも、千葉に住んでいる人に必要な情報を繋ぐDMをするなりなんなりするけれども。

或いは公的機関に繋ぐか。

 

少し考えれば、もう少し相手に伝わるベストな解にたどりつけそうなものをちょっとの手間を惜しむから自己満足なのだろうと言われてしまうのだ。

 

まあ、皆自分の事で精一杯なだけ、と言う話であり、

 

他力本願は良くないよね、助けたいならば本気で助けるために出来る事を相手に伝わるベストな形でしようね、と言う話。

 

何にも出来ないしていない私には本来ならば語る資格は無いのだけれども、本気で誰かを助けたいと思っている人々がベストなやり方を見つけられるように鼓舞してみたり、煽ってみたりしたりしてみている。

 

何故ならこれが私の精一杯だから。