掃部長者の蛇の嫁

東北の民話に掃部長者というのがある。調べてみたところ岩手県南地方の昔話であるらしい。

掃部長者というものの、この話に長者はほとんど出てこない。その妻がほとんど主役である。

 

「その妻は欲深く、何百人もの下男下女に朝早くより夜遅くまで重労働を強いていた。ある日、一人の下女が井戸で水を汲んでいると赤い魚がまじった。味噌をくるみ焼くと良い香りが漂った。これを嗅ぎ付けた長者の妻が出て来て赤魚を食べてしまった。


すると妻は喉が渇いたと下女に水を運ばせた。何度も運ばせるので下女は力つきてしまう。

 

そこで妻は自ら井戸に行き、顔を突っ込んで水を飲み出した。

井戸端の石が崩れ、妻は水に入り、遂には大蛇となってしまった。これより後、湖に棲みついた。
この大蛇は毎年作物を荒らすようになり、年毎に順に女一人を生贄として要求した。

 

ある年、郡司兵衛の番となったが、娘は一人娘だった。郡司兵衛はやむなく代わりの娘を買うことにし、旅途についた。」

 

この後は所謂「さよ姫」物となるわけだ。

 

さよ姫とは人身御供の代名詞であり、ある種の巫女性を帯びているとしているのは柳田國男だったか。

 

そういえば柳田國男のバックには佐々木喜善がいるわけだから、なるほどさよ姫伝説に一言ありとするのもさもありなんである。というか、まあ元ネタだよね。

 

(弁天と習合する市杵嶋姫命はまたの名を狭依毘売命(さよりびめのみこと)というそうで、各地のさよ姫伝説がまあ弁天縁起につながるだろう説であるとか、まれびと人身御供説とかそのへんは置いておく。)

 

閑話休題

 

私は300万円設定変更教祖様のご尊顔しかり、キラキラハッピー教祖様然り、子宮教の教祖様然り、何かを思い出すなあ〜と思っていたのだが、

 

そうか、強欲故に大蛇になった掃部長者の蛇の嫁かと思った。

 

そういえばそこはかとなく、皆大蛇のような顔つきをしている。

(※個人の感想です。)

まあ、現実にはさよ姫様も薬師如来様も弁天様も助けに来てはくれないのだから、自ら気がつくしかないのではあるが。

 

掃部長者の蛇の嫁の話にはいくつかのバリエーションがあって、下男下女を雨の日に休ませるのが癪だから傘を作ったという少し笑える話から、

 

長者が下男下女の為に買った何百人分の塩鱒を長者の女房が一人で、ぺろりとたいらげ、そのせいで喉の渇いた女房が、

家の池の水を飲んでも足りなくて、止々井沼の水に入って、大蛇になってしまった。というものもある。

 

更にこのバリエーションは恐ろしく、 これで彼女の強欲に火がついて、

長者の屋敷に火をつけたばかりでなく、亭主の長者まで食べてしまうのだ。

更に、自分の子供も食べてしまう。

それだけでは飽き足らず、今度人を食べ始めたら、毎年、美味しい若い娘を食べたいと、周囲を荒らし回る有様で。

 

なんというか、強欲に歯止めがきかないのだ。

 

まるで、教祖様がたのようだと私は思った。

 

ロンドン、パリ、キラキライベント、女性性の解放、自由に生きる、ヴィトンにグッチにシャネルに諭吉、私は私の道を行く!

 

際限なく信者様がたという人身御供を求める大蛇のような教祖様がた。

 

まるで鏡写しのようでゾッとした。

 

昔話には多くの含蓄が含まれている。

 

民話は何一つバカに出来ない。先人たちの知恵と経験が語り継がれているのには、理由があるのだ。

 

そこに道理に至る道しるべもあるのだろう。

 

さて皆様お立ち会い。

強欲に取り憑かれたものの姿の醜さと、その末路にご注目。

 

さてこの大蛇たちは一体どうなる事やら。さよ姫のいないこの世の中で。

 

私はこの飽きるほど繰り替えされるよくある話をピーナッツを食べながらぼんやり眺めていたいと思う。

 

そう、私のような善良な一般市民は、佐々木喜善になりきれないし、柳田國男じゃああるまいし、ね。