金持ち考

 

 

クエンティン・クリスプは、上品で完璧な英国紳士でありながら、セクシャルマイノリティがゆえに社会の中で手酷い侮蔑を受けていた。

 

逃げて来たのはニューヨーク。

そこでも彼は異邦人。

貧しい振りして夜な夜なパーティに忍び込み、成り金セレブを見下げて笑う、悪趣味な大金持ち。

 

スティングのMVにでている上品で美しい人は、彼である。

 

私の知っている人間にも悪趣味な大金持ちがいて、彼はある衣料品メーカーが今のような巨大企業に成長するずっとずっと前に株を買っていたので、大層な配当金長者なのだが、掃除夫の仕事をしている。

 

掃除夫の仕事をしながら自分よりもずっと若い人間にこき使われ、見下げられながら働く事が何より楽しいのだそうだ。

 

何故なら彼は偉そうに昼飯にコッペパンを奢ってくれる若者よりもずっと金持ちだから。

ゴミ捨ての途中でわざわざ舌打ちしながらゴミを投げつけてくる人間よりもずっとずっと金持ちだから。

掃除中、邪魔だとばかりにぶつかってくる人間や、わざとらしく大声で嫌味を言う人間よりもずっとずっと金持ちだから。

 

心の中で大爆笑しながら、随分と余裕なく、不幸な人間が多いのだなあとしみじみするんだと彼が笑うのをみて、

 

なんて悪趣味な、と思いつつどこでだれが自分をはかっているかわからないのだから、やはり人には親切にするべきだし、余裕があろうとなかろうと他人には最低限の礼儀は示すべきだろうと思った。

 

キラキラハッピー教祖様や、子宮教教祖様、 心屋心理教教祖様や、笑える教祖様を見ていると思うのだが、彼らは金をかき集めるのはそれなりにできるのだが、

金持ちのマインドを一切持ち合わせていないなあと感じる。

 

私には、某ベストセラー作家の知人がいて、やはり金持ちであるのだが、私が成城石井(ちょっとハイソなスーパー)でパンやソーセージを買うのが好きだと言うと思いっきり顔をしかめる。

そんな高い買い物する事ない、と煩わしそうに語るし、保険も年金も最低限で十分だと個人年金について話した際にはとんでもなく馬鹿にされた。

 

私の知っている金持ちが皆、性格がひん曲がっていて、財布の紐が固いだけかも知れないが、こうした背景から、バンバン金を使うのは単なる成金的な貧乏人のパフォーマンスにしか見えない。

 

それはちょうど六本木の駐在員達がバンバン酒や食い物や女に金を使う事に似ていて、

地位も金もそれなりの名誉があっても幸せを感じる心や、自分なりの明確な基準がない人間は、

金があろうとなかろうと貧しく見えるのだと思う事に似ている。

 

以前記したように私はキラキラハッピー教祖様の留学自体は否定しないし、良き学びになるといいと思っていたが、

 

やはり単なるパフォーマンスだったのかと。非常に残念に思っている。

 

金を使うということは、それに見合う経験をする覚悟を決めるということであるし、

少なくとも私のまわりの金持ちはそれを実践しているし、実行している。

 

金を持つ事上手く扱うリテラシーやセンスは集める事が出来るだけではなかなか身につかないのだろう。

 

青汁王子しかり、やはり器に見合わない金はいつか霧散していくし、集めても金の奴隷になっては元も子もないのだろう。

 

私は自分が最低限食えて、学べる程度の金があればいいなあと思うが、

一方で着飾ることも嫌いではないためなかなか線引きが難しい。

 

まあ、性格がひん曲がった金持ち達を見ていると、ピュアネスフルな私には彼らと同程度に金に愛される素質があるか疑わしく思ってしまうが、あるに越した事は無いなと思う。

 

不思議な事に性格がひん曲がっていても、財布の紐が固くても、どの金持ちも上品であるから、ひょっとしたら、お金は上品な人間が好きなのかもしれない。

 

すると教祖様達は愛され無い事になるのだが。さてはて。