エモエモのエモ
えもい、とは。
Emotionalエモーショナルからもともと来ているはやり言葉であることは理解しているが、
何しろオルタナティブロックやハードコア好きな時代があったもので。(あ、ピロウズはオルタナか、ではing系で。)
つい、エモ系ファッション、ヴィヴィアンウエストヴッドにオルタナティブバンドを思い浮かべてしまう。
ワンオクロックがエモ系バンドかどうかはさておき、エモ系音楽は、アーティスト自身の経験に根ざした歌詞、神経症的で内省的であり、社会問題だろうが、世界平和だろうがとかく問題に触れる場合、なんやかんや個人の体験からの訴えという形を取るという傾向がある。
グリーンデイやマリリンマンソンはエモいのか?そもそもエモ系とは?考えてみればきりがないので、まあ取り敢えずざっくりと。
そんな音楽や文化を総称していると私は考えている。
エモ系ファッションについてもいつか深掘りできればなあと思うが、これはこのブログの趣旨と被らないので多分やらない。
エモいという言葉が市民権を得る事が非常に面白いと感じる。
若者はいつだってエモエモのエモでエモいのに、彼らの口からエモいなんて言われると、いや君達の存在が丸ごとエモいし、と思ってしまう。
私が似非スピリチュアル界隈に感じる違和感の一つが年齢はとっくにいい大人で、子供や場合によっては孫がいたっておかしくないのにも関わらず、消化不良のエモ系的な幼児性を感じる事である。
まあ、ようは青春時代の痛々しい黒歴史を作るマインドのまま年だけ重ねていると言うことで、何がしかのアンバランスさを感じてしまう。
失われた青春時代を取り返そうとしているのか。
青臭いままでいたいという痛々しいピーターパンシンドロームなのか。
まるでいつまでも人生の本番が始まるのを待っているかのようだ。まだ、まだ私の人生本番じゃない、これからと。
大人になれば誰もが自分に精一杯になってしまうから、誰も教えないのだ。
もうとっくにあなたの人生は本番ですよ。
芝居の幕は上がっていて、あなたの役は決まっているのに、何故、と。
役柄が気に入ろうが気に入らなかろうが、そんなことは関係ない。
スピリチュアルな魔法を使えば、王子様お姫様になれるとでも思っているかもしれないが、そんな訳はないのだ。
人生のそういった部分に折り合いをつけるのは、他でもない若い時代にモラトリアム期にすませておくべきだろう。
スピ系の一部ではロックがあまり良くないとされる風潮があるが、まあ、人生においてそういう部分に惹かれる時代、どっぷりと浸かる時間が私は必要なんじゃないかなと思っている。
キラキラと輝く人生の本番がいつかやってくる、というのは他力本願である。
自分の人生のこの一分一秒も自分自身が作り上げている事を忘れてはならない。
他人は所詮他人。
社会は所詮社会。
私は私。
自力で自律、そして自立を。