平山夢明氏が映画になる狂気
平山夢明氏の小説が映画になるなんて世も末だなと思った。
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監督は蜷川実花女氏とのことで、かなりおしゃれでスタイリッシュ、悪く言えばソフティケイトになるのだろうが、(予告のバイオレンスサスペンスって…キチガイスプラッタ祭じゃないのか、という時点でお察しである。)
実話怪談シリーズや、東京伝説シリーズを狂ったように読んでいた私としてはやべえ時代だぜとしか思えない。
実話怪談を復興に導いた天才、人間こそが怖いと記したサイコパスが日常に潜む恐怖を描く東京伝説シリーズを作り上げた鬼才。
トラウマレベルでハマる。
私が中古本を売りに行った時に驚くような高値がついたのだが、よく考えたら氏のシリーズを全て保管していたのだから、まあ、さもありなんである。
ちなみ全て初版、帯付き美品です。
彼の才能は人の生理的な不快感や根源的な恐怖、嫌悪感を直視し、事実として淡々と記す面にある。大抵の不可解な体験や不可思議な経験というものは因果がない、というか、わからない。いつも通りの日常を過ごす中でいつのまにか絡め取られているものである。不条理で理不尽。ただ、これが現実だと思う。
スピリチュアルキラキラハッピー★という風潮の中でこんな事を記すのもどうかと思うが、私が思うに、スピリチュアルのキラキラハッピーの裏側には、平山夢明氏の実話怪談シリーズや、東京伝説シリーズのような理不尽で不条理な恐怖や嫌悪感が潜んでいるように思う。
光が強ければ影もそれだけ濃く強いのである。
理不尽で不条理で不可解な体験は、究極的には自分の責任であるのだが、それはあくまで究極的な話であって、やはり理不尽な不条理な不可解な出来事は受け入れがたいと思うし、そこから脱けだすのは至難の業である。
覚悟を決めて腹を括るだけなのだが、それがなかなか、難しい。というか、それができないから、そんな事になっているわけで。
私は常々エセスピリチュアルには関わるなと記しているが、理由としては、
金銭的ダメージや精神ダメージ、詐欺的な搾取への憤懣もさる事ながら、
中途半端にガチスピリチュアルに関わらざるを得なかった経験から、
スピリチュアル的ミスがどれだけ恐ろしく、
どれだけおぞましく、
どれだけ面倒で傷つかなくてはならないのか、それでも死んでしまっては元も子もないので、死すら逃げ場にならないという絶望のもとパンドラの箱を全開にして
全ての災厄を直視しなければならないのかを知っているので
できるだけしなくて良い経験ならばして欲しくないという老婆心もある。
何を選ぶのかは勿論自由なのだけれども。
パンドラの箱の底には勿論希望がある。
ただそれはあくまでも希望であり、希望でしかない。
希望を胸にまた歩き出し幸せにならなければならないのだ。
必要ない廻り道ならしなくて良いじゃないか。