面接バレエちゃんと挫折について思う事
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数日前に少し話題になっていた面接バレエちゃん。
「面接でバレエの件に触れられて傷付いた方、世の大人達にボコボコにされているが、個人的にはとても立派だと思うよ。
自分の傷を言語化し、他者を口汚く罵らず、特定されたくないからと捨て垢にしたと認め、向き合う為に試行錯誤する。
罵倒だけは上手い良い歳した大人達よりよっぽど成長するのでは。
先に経験したが故に語れる言葉があって、「何故 面接でバレエの件を尋ねたのか」を説明している人達は正にそれ。
それは先に社会に出て採用する側の立場を理解しているから出来る事で、まぁ有難いけれど別に偉くもなんもないです
。出来て当たり前の事なので。
それより内省できる器のがよっぽど賢明。」
という意見もあり、そうだよね、これはこれで大切な事だよね、と思うが。
おそらくそもそも論として、彼女に対して厳しい言葉を投げかけている方の多くは馬鹿にしているからとか、叩きたくてそのような意見を記しているのではなく、内省して欲しいから記しているのでは?と思うので、
内省できるのもまた当たり前なのでは?とも思った。
罵倒している方もいらっしゃるのだろうか。
ちゃんと見ていないからわからないけれども。
まだカサブタのままの傷口に塩を塗られたような気持ちになって辛かったんだろうなと思う。
それだけ心血を注いできて、一生懸命頑張っていたのだと思う。
ただ、面接の目的を理解していないなと思うし、企業側の立場や聞きたいことに対して応える事が出来ないのであればいずれにせよ彼女は傷つかなければならなかったとも思う。会社や組織や社会というのは基本的にシステムなのだから。
面接にはルールがあるし、そういったシステムなのであり、
組織の構成員としてどれだけ頑張る気があるか、適性はどうかが見たいのであって、他人のトラウマに対して配慮するという情緒的側面はない。
いちいちそれに対して配慮せよと言う人々は、何か勘違いをしていると思う。
勿論、組織に理不尽な事を強いられるのであれば抗うべきだし、不服を申し立てる必要はあると思うが、挫折を乗り越えているかどうかもわからない人間を雇うのは会社にとって非常にリスキーだと思わないのだろうか。
知りたい事を質問して傷ついたとかパワハラ論をもちだされても、いやいやそもそもルールや目的わかっているの?と言いたい。
ドッジボールでボールを当てられて傷ついたと言われる事と同じである。そういうゲームなんですよ、としか言えない。
痛かったり、怪我をしたりした部分に痛かったね、大変だったね、と共感する事もわかりやすい優しさで必要だと思うけれども、いや、そもそもドッジボールだからね?と言われてしまうのも仕方ないのではないだろうか。
あいつがボールをぶつけてきたのだ、と言われた面接官の気持ちになるとどうにもねぇ。
それを知らなかったのならば仕方ないと思うし、今後は対策をとる事が出来るだろうから頑張って欲しい。
新入社員の叱り方という漫画を見た時も思ったのだが、何故配慮され、共感されて当たり前だと思うのだろうか。
目の前の方に対してこうして欲しい、ああして欲しいばかりで、自分がこうしよう、ああしようにならないのは精神的に未熟だからなのだろうが、非常もったいないなと思う。
同時になんて若いのかしらとも感じる。
人を変えるのがどれだけ大変か、いや人というのはそもそも変えられないのだと言うことを知らないのだなと思う。
まあ、何年かしてみれば、そんなこともあったなあと笑い話にできるのであろう。
弱い人が弱いままで何故悪いと開きなおり、ああしろ、こうしろと言う事ほど図々しいことはない。
弱者は守るべきだ論というのは、弱者の可能性を取り上げる可能性もあることを忘れてはならない。
また、弱い事と病は切り離して考えるべき問題である。
義務を果たさず、権利だけ主張するのは自らを貶める行為である。
まあ、それが若さなのかもしれないけれども、未熟にばかりはならないようにと願ってしまう。幸多き道を。