キラキラsnsの終焉とカルト化

吉本芸人然り、キラキラハッピー教祖様然り。

アーティスト界隈然り。

 

不自然なものに対して自然にしていく流れがあるのかもしれないなあと思う今日この頃。

 

こんな時には正義の先鋭化に気をつけていくべきであろう。

 

何が悪くて何が良いのかという線引きは曖昧なものであるし、正義ほど面倒で個人的な物差しは無いのだから。

 

もちろん、悪いことは悪いという必要はあるものの、裁くという行為は誰にしたって、それを生業とするもの以外にはその権利が無いのだから。

 

キラキラハッピー教祖様はsnsを全て消し去ったご様子で。

 

私としてはもう新規で引っかかる方がいなくなるのだろうなと思った。

情報提供の必要性がまた一つ薄れたわけである。

良かった良かった。

 

逆にいままだ彼女達の周りにいる人々は囲い込まれてカルト化していく危険があるかもしれない。

 

取り巻きたちのsnsを通じて、カリスマ性を高めていきたいと考えているのかもしれない。

ま、ご自由にどうぞ。

箱庭で静かに共食いするのは自由であるし、社会に迷惑をかけないのならばご勝手にである。

 

いずれにせよ、彼女は世間から飽きられた。

ただ、それだけの事。

 

彼女にある、ある種の親しみやすさや気軽さ、身近な存在であるという雰囲気がカリスマ性を生み出していたのに、憐れにも夢を見たのだろうと思う。

正直言って、彼女には才能も煌めきも、カリスマ性も無い。

滑舌の悪さと一方的な喋り、十人並みの容姿。

井の中の蛙的な勘違いをしてエンターテイメントの世界に入り、埋もれるタイプ。

よくいる人。よくある悲劇。よくいる鴨。

 

オーディション会場にも、事務所にもいたかいないかわからない、いてもいなくてもかまわないタイプ。レッスン料を搾取される側。

 

エンターテイメント業界なんてまさに今の震源地である。よくそこに足を踏み入れるつもりでいるなあと感心する。

 

おしゃれなカラスはカラスでしか無い。

 

エンターテイメント業界なんていうものは、夢を搾取され、食い尽くされる人々の屍のうえに成り立っていて、教祖様方とはたいそう相性が、悪そうなのだが。

 

まあ、夢を見る権利は誰にも奪うことはできないのだから、どうぞお幸せに。

 

当たり前であるが、人生は自分の思い通りにならない。

来るかわからない未来の事にばかりかまけて、そればかり考えているのは単なる妄想である。

 

妄想に囚われて目の前の事がおそろかになっている。

 

キラキラハッピー教祖様界隈にはそんな大人達が多すぎる。

 

落ち着いて。

冷静になりなさい。

 

あなたは理想の自分になり、理想の人生を歩む権利があり、それをする事ができると思っているかもしれないが、それは慢心だ。

 

あまりにも傲慢である。

 

理想の自分という亡霊のようなものに取り憑かれて、今の本当の慈しむべき自分をないがしろにするなんて、なんと馬鹿げた事か。

 

今の自分と、その周りにいる人々不在のまま人生を進めていく事の無礼さ、失礼さが何故わからないのか。

 

私が私がという欲望を暴走させ、引き寄せだの幸せだの本当の自分だのという言葉で正当化してはいけない。

 

考えなさい。

自分の愚かさと幼さに向き合いなさい。

 

私が界隈民に言いたいことはこのくらいだろうか。

 

ま、もう無駄なんだろうけれども。