アメブロ自動ツール考
自動ツールで検索したところ雨後の筍の如く様々なサイトが出てきた。
無料の
http://firewolf.dip.jp/melma/ameba/AAAU/
アメブロ集客サポート
https://ameblo-access.com/automatic
これを使うか使わないかは当人の品格及び成し得たいことの質によると思う。
使いたい人は使えばいいが、リスクはしっかり管理できるという自負は最低でも必要である。
それから、あなたのモラルが試されているという自覚も。浅ましく、さもしい自分を受け入れる覚悟も。
まあ、無料ツールのウイルス感染リスクくらいはしっかりしておいてほしい。
それはさておき。このサイトに興味深い事が書いてあった。
「2018年7月2日現在、自動化ツールへの規制は非常に厳しいものになっています」
成る程。
キラキラハッピー教祖様が一時期いいね!を消した事が腑に落ちた。
宇宙の声というか、アメブロからの警告があったのかもしれない。
ツイッターやインスタも恐らくこういったツールを使用しているのではないだろうか。随分お粗末なフォロワーが多いようだから。
ここまで書いて、別に正しい情報を流していくためなんだから、下駄を履かせてもいいじゃない的な信者様からのご指摘がありそうだなあと思った。まあ、そんなアクセスないブログだから大丈夫だろうが。
私はキラキラハッピー教祖様が引き寄せとか、宇宙とか、エイブラハムとか、スピリチュアルとか、そう言った面で嘘をついているとは思わない。
と、いうより、厳密に言えばその教えが嘘か真か判断がつかないのだ。
私にはスピリチュアルを感じる能力、判じる能力が無いのだから。
(ただ、余談になるが、私自身がそう感じているだけであり、過去には強烈な霊媒体質であると断じられたり、スピリチュアル的な能力がある筈だと占いで断言されたり、やたらとそう言った界隈と縁がある気はする。
絶対に縁がきれないのだなあ、とも感じている。よくわからないが、そういうようになっているのだから仕方ない。)
と。しかし、いずれにせよ私にはわかりかねる。わからないものはわからない。感じないものは感じない。
だからこそキラキラハッピー教祖様の教義や経典が嘘だと断じる事ができない。
霊も龍も見えなければ神も感じない。宇宙人も呼べなければハイヤーセルフも知らない。
しかし。
だからこそ一般常識に照らし合わせてみる事ができるのだ。
正しい情報を流すために下駄を履かせる事を世の中では、下品だと思う人が多い。
と、いうか人の在り方として、品性を欠く行為だと、信用を損なう行為だと判じる人が多い。いや。当たり前なんだが。
ただ面白さでバズった情報と、ステマの情報、あなたはどちらに価値を感じるだろうか。
実は同じ商品のコマーシャルでした〜★だってこのお菓子美味しんだもん!たくさんの人に知って欲しかったんだよね!!と、して。
この2つの情報の流し方どちらを選ぶかで、商品の価値そのものすら変わると思わないだろうか。
同じ価値の1つの商品にもかかわらず、下駄を履かせた情報(ステマ)で流された商品は下品で、浅はかで、信用できないように見えないだろうか。
キラキラハッピー教祖様の情報の流し方はほぼステマと同じだ。
口コミや他者評価を買い付け、有名人に支払いをして、あたかもプライベートで気に入ったかのように口コミをして貰う。ステマにそっくりなのだ。
モノが良ければ全て良し。
という考え方は品がない。
情報の流し方にまで気を配ろうという、
相手に対する思いやりがない。扱っているものへのプライドがない。
相手に対する敬意がない。
浅く、雑に他者を扱っている。
相手を見下している、格下の白痴な弱者と見なしている。
だから忌み嫌われるのだと思う。
そして、それを良しとする人間性の教祖様など、社会的にはただの無教養で、他者に対する思いやりのない幼稚な自己中にしか見えない。
そんな人間の語る事など大抵の人間は耳を傾けない。真剣に聞いてやる必要が無いからだ。
だからこそ教祖様の多くは数字とお金に縋る。人が多ければ!お金がたくさんあれば!賞賛の声と夢のような贅沢な生活があれば!!
…あれば??
あればどうだというのだろう。
そんなもので、
教養は身につかない。
他者に対する思いやりと敬意は生まれない。
他人をぞんざいに扱えるそんな人間のいう事は例えどんなに正しくても、キラキラしくても、耳を傾ける価値は無いと私は思う。
自己中がどこに言っても嫌われるのは、面倒だからと言うのもあるが、軽々しく他者を傷つけたり扱ったりするからだ。
愛とか感謝とか楽しく、ワクワク、ホッと、ほっこり。と語りながら他者からそれらを簡単に奪う。
そんな教祖様のご高説を真剣に聞く価値があるのだと思う、そんな人は社会から、一般常識的な世界からどんどん隔絶されていくだろうと、私は思う。それは、本人がどんなに自分を被害者だとか可哀想だとか思っていても、関係がない。仕方のない事なのだから。