批判考
竹久さんのブログにて、素晴らしいコメントを拝読した。
http://takehisayuriko.tokyo/2018/12/14/post-3754/#comment-1959
「逆にアンチスピ系の人も痛くなっている気がしています。
まるで、相手が悪いから何をしてもいいと思ってるというか、批判と嘲笑を履き違えている気がするのです。(嘲笑されても仕方のない部分が彼らにはありますが。)
正義と思って活動していくうちに、自己が尊大になっていることに気がついてないというか・・」
とのコメントを見て、はっとした。
私の事だ。と。
被害妄想だったら申し訳ないし、
いや。お前のブログ知らないしなんならマジ迷惑だし。
なら本当に、自意識過剰なんです、私、すみません。
なのだが、
人を批判するということはすなわちそういう事なのだ。
人様の文章のおかげで私は随分痛い人間だ。と改めて認識できた。
なんとも有り難い事である。
これは米津玄師のブログによる。
「音楽に大事なのは編集だと、ここ最近強く思う。プリミティブであれ、衝動的であれ、という「ありのまま主義」というか、そういうのに僕はずっと懐疑的な立場でいて、あまり面白いものでもない気がずっとしていて、自分自身なぜそう思うのだろう?とよく考える。
音楽は非常識でグロテスクなエゴや矛盾を、音楽という手段を経由して表現することが許されていて、そういう未分化の下層から、常識的な表層へと飛び出していく、その距離こそがエモーショナルへと変わるわけで、そういう意味では「プリミティブであれ」は部分的に正しいと言える。
ただ、そういうありのままを推奨する空気の中に、技術への不信感というか、体裁を整える能力を軽視してるんじゃないか、と思えるようなものが見え隠れするときがあって、これがどうも居心地が悪い。」
私はこれをスピ界隈に良く感じる。
(プリミティブなものを神聖化する事に含まれる、広義の意味での社会性への懐疑)
だから、批判する時に、
よく「社会的に」「常識的な」「最低限のマナーや礼儀」をよく使う。
しかし、まるでこの言葉。
まるで自分が世間一般の代表であり、世間を背負って立つ!ような尊大さを兼ね備えていないだろうか。
自分の文章ながらぞっとした。
私の中にも承認欲求とエゴが渦巻いていて、ふんわり世間を傘にして、独善的な怒りを社会と置き換えて代弁させているにすぎないんじゃないかと。
ああ、批判とはなんと難しいのか。
まさにエゴの罠である。
私のブログは、結局のところ、私がどんな御高説を述べようとも、キラキラハッピー教祖様界隈の下世話な週刊誌的なゴシップブログであるのだし、
(自覚あり)
超個人的備忘録というブログタイトルとやけに堅苦しい文章でそれを誤魔化しているよな、と。
それでも必要な人に届いて欲しい、と願ってしまう。
まあ、これも自己弁護の自己正当化に過ぎないのだが。
しかし、口を噤む気もまた、ないのだ。
見て見ぬ振りをした結果が今の惨状ならばやはり批判や嘲笑もまた必要悪だろうと、思うから。
堅苦しい重苦しい批判ばかり。なんてだれも見たくも聞きたくもないだろう。
先鋭化した思想を揶揄や皮肉や風刺は寧ろソフティケイト化してくれる効果があると私は思っている。シニカルな笑いが好きという個人的嗜好もあるが。
理不尽やおかしなことをおかしいと笑い飛ばして、二元論化した硬直した局面を緩める効果がある。
しかし、痛々しくない批判は難しい。
情報リテラシーを身につけるのがなんて難しい時代なんだろう。と嘆いてしまう。
時代の速度に私の教養が全く追いついていない。
何が良くて何がいけないのかと言う判断は教養や自分の核がしっかりしていないと難しい。
その上、
「かもしれない情報」はかもしれない、からなんとも言えないとするくらいで記すべきではないか、いや記すべきなのか、など情報の精査能力を求められるし、
当然だが、自らも批判の矢面に立たされる。
ああだこうだと面倒に、まきこまれることもあるし、
自意識に振り回される。
まあ、このブログはそれを含めて自己客観視のツールなので、ある意味目的は果たしている、とも言えるのだが。
私は正しい。
教祖様は間違っている。
変な事は変だと声を大にする事は必要だが、
この無用の二元論思考、
私がブログを記すとき、
この気持ちがチラとでもないといえるだろうか?
いや、言えない。
それを目的に記してしまうと、
文章の帰結や前提に持ってくると、
二元論的思考と結論にしかならない。
頭ではわかっているつもりだったのだが、
正直、某プロデューサーツイート関連の前記事は相当この二元論的思考が丸出しになっている。
アイツは下品。
アイツは恥知らず。
と言う気持ちを込めて書いたからである。
この件をどう批判すれば良かったのか、まだうまく纏まらない。
まとまったらちゃんと記したいと思う。
できればプリミティブで、シニカルな笑いに変えたい。そう思う。