愛国無罪は有り得ない

さて、最近随分世界が騒がしい。

 

私は私の事で忙しいのであるが、さりとて私生活にいくつか食い込んでくる問題もあり無視して生活を送る事も難しい。

 

そんなわけで忙しすぎてなかなかSNSやらブログやらをやっている暇が無かったのであるが。

 

今朝方久々にSNSをみて感じた事があった。

 

教養も知識も知性もない間抜けに限って、自分だけは真実を知っている掘り当てていると勘違いするものである。

 

だから、私自身もまたそのようなきらいがあるのだろうと自戒として記す。

 

とりあえず、SNSでやたらと特定政党に肩入れし、感情的に語り始める方々へ。

 

その政党の政策そのものの現実的効用及び実現性はまるでないと思うが、思想そのものを私は全否定しないし、するつもりもない。

 

様々な理想や理念があり、それらをできるだけ現実的に可能な限りで実現していく事が必要であると私は考えているからだ。

 

しかし、頭と心は別である。

 

愛と平和は理念であるべきであるが、理念が現実的効用及び即効性があるとでも思っているのだろうか?

 

現在の問題点の改善のために、全く逆の事をすれば良いというのは非常に馬鹿げた事である。

 

何故そのような仕組みになっているのか?

メリットは?デメリットは?

 

上級国民が吸い取るためなどという陰謀論を持ち出すのだろうか?

私が上級国民様なら下級国民から恨みを買わないような仕組みにするけれども、今の仕組みはそう考えると穴があるとは思わないのだろうか。

 

もちろん、時代に合わない政策やら法律やら法令やら社会福祉は出来るだけ速やかに改善する必要がある。

 

だが、それも現状の理解と認識をした上でするべき事であり、正反対をすれば良くなるかどうかなどという事はアホでもわかりそうなものなのだが。

 

私が脚本家だとしたら、間抜けにもわかるような筋書きで自己憐憫を拡大させつつ、愛国心を煽り、

今が悪いのは貴方がたのせいじゃない、

時代が悪い

国が悪い

政権が悪い

法律が悪い

というだろう。

そうして、私は貴方の味方ですと言って私を支持すれば幸せになれると語るだろう。

 

愛国心があれば無罪になるとでも?

現状の破壊が明るい未来に繋がるとでも?

 

スマホをいじり、SNSを駆使し、駅前で選挙演説を見ることのできる今に幸せが無いとでも?それは有り難い事では無いとでも?

 

世界からつまはじきにされている気がするから、訳の分からない甘言に騙されるのだろうけれども。

 

日常の中でできる努力もしたくないと泣きわめく事は教養も知識も知性もいりませんと語る事に等しいだろう。

 

弱者ですと開き直る人々ほど図々しいものはない。

 

これから世界がきな臭くなるだろうに、今ある平和が続くと思い込んでいるからわけのわからないことを語るのだ。

 

愛国心があるのならば、今自分が何をすべきかわかるだろう。

 

一つ一つ丁寧に、自らの成長と努力を。

 

貴方のエゴに突き動かされて国が内側から崩壊するなど笑えない。地獄に道連れはごめんである。

 

ああ、そういえば赤羽駅前で貴方がたの支持する党首を見た。

支持者とスマホで写真を撮っていたが…