深夜高速の後には絶対なんとかなるんだぜ
女王蜂からのフラワーカンパニーズからの人間椅子からの真心ブラザーズ大変楽しゅうございました。
人間には緩急が必要です。
しかし、アヴ様御機嫌斜め姫だったのかしら。まあいいか。
ここでフラワーカンパニーズの曲を少しだけ。
「壊れたいわけじゃないし 壊したいものもない
だからといって全てに 満足してるわけがない
夢の中で暮らしてる 夢の中で生きていく
心の中の漂流者 明日はどこにある?
生きててよかった 生きててよかった 生きててよかった そんな夜を探してる」
界隈民だけではなく、みんなそんな思いを抱えて生きているのだ。誰もが見せることなく、不安と孤独と退屈を抱えながらそれでも死ぬのは一回こっきりなので仕方がないと生きているのだ。
「荷物はなくていい 手ぶらで十分
愛の言葉なんて 豚にでも食わせてろ
言葉にならないから 歌があるんだろ
何か吐き出したいから 孤独があるんだろ
最後の最後の最後には 大体なんとかなるからよ
最後の最後の最後には 絶対なんとかなるんだぜ」
さて。最後の最後の最後には 絶対なんとかなるんだぜ、はほとんど真実に近いと私は思っているのだが。
最後の最後の最後には、絶対なんとかなるんだけれども、なんとかするにはそれまでの七転八倒、やり切る努力が必要だと私は思っている。
どうしようもない不安や孤独や退屈を直視して、目の前のことを精一杯やりきったとき、絶対なんとかなるんだぜ、と思う。
界隈民に限らず、人は孤独や不安で選民思想を満たす。
様々な芸術に触れて、音楽に触れて、物語に触れてみれば分かる。
そんなものは、あなた1人の宝物じゃない。
そんなものは、言ってみれば生きる上での排泄物のようなもので、
人間は誰だって食物を摂取すれば排泄するように、しなくてはならないように、
生きる上では、不安も孤独も退屈も当たり前に存在するのだ。
誰だって抱えて生きている。
不安や孤独や退屈で選民思想を満たす人々は、ともすれば皆がトイレや洗面所で排泄しているにもかかわらず、
公の場でドアを開けたまま排泄し、あまつさえ持ってあるき、掲げて歩いているようなものだ。
そりゃあまともな人間に嫌われるだろうよ、と思う。
同じように愛の言葉だけ掲げて歩く人間もマトモじゃないだろう。
愛の言葉なんて、豚にでも食わせてろ、とまで私は言わないが、
言葉にならないファジーな、いわば曖昧なスペクトラムを無視してまで語るのは、単なる騙りでしか無いだろう。
言葉に切り捨てられたファジーなものを救いあげる聡明さと教養と思いやりを身につけるほうが良い。
言葉に切り捨てられたものを救えない白痴が多すぎる。
言葉なんて、不自由すぎるものだから言葉にした途端に多くが切り捨てられているのに、どうして気づかないのだろうか。
白痴は白痴であるが故に語彙の豊富さに足を取られて言葉に支配されている。
なんて間抜けな事だろう!
言葉にならないから、芸術が、音楽が、絵画が、広い意味での文学があるのだろうに。
それらに触れずに死ぬなんて、なんてつまらない人生!何を選ぶかは勿論自由だけれども。
さあ、良きものに触れ、良きものと出会い、見識を広げ、深めていこう。小さな世界で腐っていくくらいならば、大海原で大怪我しながらその身で世界を受け止めて、精一杯やりきって、死んだほうがまだマシだ。
私はそう思う。
さて、あなたは何を選ぶのだろうか。