近大西野問題

ハルさんからのヤバTからのトモフスキー打首獄門同好会ラストはスカパラ、本当はピロウズが見たかったのだが、泣く泣く東京へトンボ帰りをした。

 

横アリでピロウズに会うから…だから…といい聞かせている。

 

打首獄門最高でしたよ。

うまい棒毎度の事ながらあざーす!

(⬆︎まじめに本気の超個人的備忘録)

 

さて、近大西野問題とされる事が話題になっていた。

私がよくまとまっているなあと尊敬した記事はこちら。

https://hbol.jp/191318?display=b

 

私が純粋に彼のスピーチを受けて考えたのは、「何故11時代には時計の針が重ならないのか」であり、

「それを計算式を使わずに小学生に伝えるとしたらどうしたら良いか」であった。

 

ちなみに、今のところ、こう考えている。

 

長い針は1時間に一回りします。短い針は12時間で一回りします。

長い針と短い針は一回りする早さが違うのです。

 

そうすると、11時のときに、長い針が11の数字の場所に来たとき、短い針はちょっとだけ11の文字からずれるのです。短い針は12時間で一回りするからです。先に進んで置かないと12時間で一回り出来ないからです。

だから、ちょっとだけ、どうしてもずれてしまいます。

 

うーむ、分かりづらい。

 

12時間で◯回重なるというのは、
12時間で長針は短針より◯回多く回ったという事です。

長針は12周。
短針は1周。
これがゴールの瞬間。

12時間で長い針は短い針より何回多く回ったのか考えてみましょう。

12-1=11だから、ゴールの瞬間は11回目の重なりなんです。

 

重ならないのは11時の理由がわからないからダメかなあ。とかね。

 

まあ、西野スピーチを受けたときに単純に感動する人々は純粋だと思う。

 

時計の針の重なりが何故報われる瞬間になるのかと哲学的問答を始めたり、頭の中で数式を思いうかべたり、理由を考えはじめる人々の多い中で話し手感じて欲しいように感じてあげられるのだから。

 

私が西野氏の立場から考えてなかなか彼は素晴らしい悪徳セールスマンになるなと思ったのは、彼は自分の登場シーンのやり直しで罪悪感を抱かせるだけではなく、こう語っているからである。

 

「あなた方には2つの選択肢がある。」

 

私はこのセリフが非常に嫌いであるのだが、まあそれは良しとして。

 

無限の選択肢を2つに絞り、思考を狭めながらも自発的に考えさせるのだ。

 

選択肢を狭めながらも、思考を疲弊させるのだ。

 

結構悪質で悪辣なやり方であると思う。

 

私達は常に日々の生活の中で選択を迫られている。起きるか、寝るか。服を着るか着ないか、着る服の色は、朝食は食べるか食べないか、何を食べるか、…。

 

だからこそ、私達は普段の生活で思考を省略する事があるのだ。つねに考え続けると疲れてしまうから。

だから思考を省略してもいいとき、人は単純にしか思考しなくなる。

 

猫組長がこれに感動する人間は騙される側と語るのも宜なるかなと思った。

 

これに感動する人間は相手の真意を見抜かず、また見抜くつもりもなく、自分の思考を放棄し、お望みどおり、思考の簡略化にハマっているのだから。

 

時計の針が重なることが何故報われる事に繋がるのか、彼は語らない。

何故、報われない時間の方が多いと決めつけているのかも、わからない。

 

私は報われない時間の方が当たり前に多いなどというさもしい人生観を持ち合わせる人間になどなりたくない。

 

そもそも、報われるという考え方自体がさもしいと思う。

豊かじゃないね、と思う。

 

報われる報われないはただのある地点からの結果論に過ぎない。思考の幅が乏しいと思う。

周囲の人々と明るく楽しく心地よく過ごす毎日に感謝と幸せを感じていれば、ある地点やある視点からみた結果がどうあれ、幸せじゃないか。

 

報われるとか報われないとか、そんなもの全然関係ないよ、と私は思う。

 

まあ、これは私の美意識の問題なのだけども。

 

あとは、

 

「やればできんじゃん!」

「僕はちょっと先で待ってます。」

 

と、うら若き大学生達にマウント取っている時点で彼は相当自意識が歪んでいるんだなあと思った。おそらく相当コンプレックスが強い人間だと思う。

 

まあ、これもある種の心理的効果を狙っているのだろうが、この小技を使う時点でコンプレックスがあるだろう。

 

なんだか見ていて悲しくなってしまった。

自分はすごいと自分で語らないともう自分の事を支えられないなんて、なんて気の毒なオジさんなんだろうと思った。

 

少なくとも私が近大生ならそう感じただろうし、口に出していないだけで結構な数の大学生がそれを感じたと思う。

大学生だって馬鹿じゃないのだから。

若いという事はそう思って当然なだけのアドバンテージがあり、価値があるのだから。

 

可哀想な大人を尻目にどうか若者達よ、反面教師として、素晴らしい大人になりますようにと、私も祈りたいと思う。

 

彼の話を聞くよりも、素晴らしい芸術や音楽に触れた方がまだマシですわ。