渋谷ではしゃぐ大人考

渋谷ではしゃぐ大人はみっともない。

これは個人的な価値観ではなく、経験則で語っている。

 

渋谷がトレンドの発信地だったのは10年以上昔の話だ。

 

事実、渋谷は若者の街から洗練された大人の街へと生まれ変わるために街を作り替え続けている。

 

 

2020年が大きな分岐点になるように、と、今日も今もまさに作り替えられている。

 

今の渋谷に集まっているのは、外国人観光客と田舎者である、と言ったのは渋谷区で生まれ育った若者だ。

 

ハロウィンがダサいという風潮は、去年より今年随分と強く感じた。

だから、ニュースを見て驚いた。私が肌で感じていたあの空気は何だったのか、と思った。

 

多分、普段渋谷界隈に足を運ばない、肌であの冷めた空気を感じない人々が、

夜な夜なわざわざ電車を乗り継いで渋谷くんだりまで来たんだろうなと結論づけた。

 

そのくらい、ハロウィンに対して冷めた空気が漂っていたのだ。

 

さらに。この若者は、ハロウィンではしゃぐのはダサいと言う風潮はこの界隈の若者にとってはもう5年以上前からだろうと言っていた。

(私は本当にこういった事に疎いのだ…。)

 

クラブではしゃぐパリピもダサい。

クラブでいきる奴もダサい。

悪ぶったり、仄暗い関係をちらつかせる奴はダサい。

たぶん、遊び方を知らない田舎者が都会に出てきてはしゃいでるんだと思う。

 

なんていうか、ダサいとか痛々しいを通り越して、ただただ関わりたくない。

 

という。

 

こちらから水を差し向けなければ、この話だって聞けなかったと思う。

 

若者達ははしゃぐ大人達にただただ口を噤んで冷たい目を向ける。

 

はしゃぐ事自体は悪いことではないと思うが、自分達がどんな風に見られているのか、と言う客観性は大切だと思う。

 

少なくとも、はしゃぐ大人達を冷めた目で見つめる若者のソレは、はしゃぐ大人達が若者だった頃に大人に向けたであろうソレと違うだろう。

 

質が違う、と私は思った。

 

今の若者達のほうがよっぽど大人だ、

 

多分、インターネットやSNSネイティブ世代だからこそ、

彼らははしゃぐ大人達より自己を客観視する事に長けていて、

その視点でいえばよっぽど大人なのだ。

 

リテラシーが発達、進化している。

 

彼らの語るダサいは、ひと昔前のダサいと意味が違うんじゃないかと私は思っている。

 

今のダサいは、なんというか、炎上したり、叩かれたりして当然の事が分からない、そんなこともわからないのか、

と揶揄する意味が込められている気がする。

 

ダサいの語源である田舎者や、間抜け、無作法な、不恰好なのニュアンスよりも

 

社会的にどうか、とか、ウケとか炎上狙いの浅ましさ、常識的なこともわからないのかという無教養さを嘲笑うニュアンスを強く感じる。

 

ひと昔前のダサいは垢抜けない、田舎者、洗練されていない、のニュアンスが強かったのではないだろうか。

 

そんな時代はもうとっくに過ぎているんだなと思う。

 

だからこそ、スピ系イベントは、ダサい。

だからこそ、痛々しい大人達しか集まらない。

 

何故なら単純に、

若者的流行価値観からすると、とんでもなくダサいから。

 

どんなにキラキラしく華やかな雰囲気にしようとも、ダサいのだ。

 

キラキラハッピー教祖様界隈のセンスしかり、スピ界隈には今時と言われるセンスを感じない。

 

どうしてもひと昔前のゴテゴテした、うるさい、HARAJUKU文化的なダサさが漂う。

 

HARAJUKU Kawaiiこそ、最後のマスメディアが作り上げた流行なのかもしれない。HARAJUKU文化は今や観光地的な側面が強いと思う。

 

元々大多数に支持される緩やかに社会をかたどる流行ではなく、少数派に熱烈に支持されるアングラ的なジャンルであったし、今はそれが観光地化されていると思う。

だからこそ、スピ界隈はそこからセンスが進化していないんだろうなあ、と思う。

 

今好まれているのは上品さや、洗練されたシンプルな凛とした美しさかな、と思う。涼やかな美しさとか、シンプルで素朴な丁寧さ、とか。上質なもの。

 

品の良さや教養や伝統、格式、歴史的背景、そして客観性が好まれているなと思う。

 

キラキラしいもの、バズるものはもうその瞬間からダサくて 、シニカルな笑いや味わい深いもの、教養を感じるものが

ダサくない、という雰囲気がある。

 

少なくとも渋谷界隈で生まれ育った若者達から私はそれを感じた。

 

だから彼らからすれば自分達の時代の流行やダサい、のセンスにしがみつく大人達はダサいのだ。

 

年甲斐もなく派手派手しい格好をすること、

年齢に見合わない言動をすること、

若さにしがみつき、

年甲斐もなく露出をすること、

少し調べれば分かるような常識や礼儀やマナーを知らないこと、守れないこと、

 

そんな自分達を客観視出来ないこと、

 

全部がダサくて痛々しいのだ。

 

リテラシーの発達した彼らはこんな大人になるまいと、心で指を差して笑うのだ。口に出さずに笑うのだ。

 

それば、多分、ひと昔前の若者の口にする、

こんな大人になるまいと随分意味が違うのだろう。

 

渋谷は今も変わり続けているし、これからも変わり続けるだろう。

 

クラブはもうダサい場所になっていて、ジュリアナと同じ末路を辿るのかもしれないし、

意外な進化を遂げるかもしれないが、

若者達は大人を忌み嫌うものだから、

私達の目には触れない代わりのものをきっと作り出すだろう。

 

 

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今の渋谷は、東急百貨店前のイルミネーションが綺麗だ。

 

クリスマスもそこまでやって来ている。