HSP.発達障害.スピリチュアルについて思う事

さて、スピリチュアル界隈と何故か異常に親和性が高いのだな、と私が感じているのが、HSP.発達障害の界隈である。

 

HSPについてはこちらのサイトが詳しいですよ。

私もたくさん勉強させて頂いております。

http://c-sakuranbou.hatenablog.com/entry/2018/12/17/132558

 

HSPとは、ハイリー・センシティブ・パーソン(英: Highly sensitive person, HSP)生得的な特性として、高度な感覚処理感受性を持つ人のこと。共通して見られる特徴として、大きな音、眩しい光・蛍光灯、強い匂いのような刺激に対して敏感であることが挙げられる。物事に対して容易に驚き、短い時間にたくさんのことを成し遂げるよう要求されると混乱するという性質を持つ。(wiki調べ)

 

発達障害とは自閉症アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害学習障害注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するもの。(文科省定義による)

 

私個人としてはそもそもの定義や言葉の生まれた背景が違うため、判断基準が異なるので別物であると考えるが、このどちらかである人も、どちらでもある人も一定数いると思う。

 

また、発達障害は、IQテストや生育歴等から医療機関で専門家による判断がなされる為、ネットで簡易診断をして、発達障害を名乗らないほうが良いと思う。これは素人の自己判断可能な分野ではなく、専門家に判断して貰うべき部分である。

 

生きづらさにそれぞれある一定の定義を加えて、名前をつけている、分類することで対策を考える、という面においては同じようなものかもしれない。

 

何故スピリチュアル界隈との親和性が高いのかと考えると、やはり厳しい現実に直面するのが辛いからなのだと思う。

 

こと、障害というものに関しては誰かを怨んで呪って怒ったところでどうにもならない側面が大きい。

 

外敵を見出すことが難しい場合も多いし、見出せたところで、自分の現実がどうにもならない事は変わりない。

 

だから、「許す」しかない。

だから、「受け入れざるを得ない」。

だから、「認める」しかない。

 

逃げられないつらい現実に直面したときにスピリチュアルは愛や許しや認めるとかなんとか、

 

とにかく様々に対して耳触りよくどうしようもない現実を受け入れられる器を作ってくれそうな雰囲気がある気がしないでもない。

 

なんだか、どうしようもない現実に疲れている自分に優しくしてくれそうな雰囲気がありそうな気もする。

 

だから惹かれるのだと思う。

 

私の知人に発達障害方面の専門家がいる。彼は、発達障害の人間はスピリチュアルに近づいてはいけないと警鐘を鳴らしている。

 

(まあ、どっぷりスピリチュアルにつかっていた人間らしいので、片足突っ込んでるレベルの私より裏事情までしっかり知っているのではないだろうか。)

 

そんな専門家ですらそういうし、私もその通りだと思う。

 

当たり前であるが、自分からは誰も逃げられない。

 

生きづらさは誰だって大なり小なり抱えている。抱えたままで生きている。

 

であるからして、皆少しでも自分自身を愛せるようにと、悩み、苦しみ、仕方なしに自己を成長させようと精進するしかないので、這々の体で、渋々なりとも努力し始める。

 

それは、HSPだろうと発達障害であろうと変わらない。

 

ただでさえ、社会から逸脱しやすい存在なのに、そこにスピリチュアル要素が加わってしまえば、社会復帰が難しくなるのは当然である。

 

縋りやすい杖に縋ってしまうのは、わかる。

 

だが、HSPだから、発達障害だからと言ってそこに胡座をかいてしまっては元も子もないと思うし、スピリチュアルに縋ってしまいたくなるのもわかるのだが

結局のところは社会の中で生きていかねばならないのだから、社会性を身につけるのが先だと思う。

 

私がキラキラハッピー教祖様の教えで最も不味いなと思うのは、

 

不登校の子どもたちに対してやりたくない事はやらなくていいし、

学校に行かずに好きなことをして生きていいんだよ。と言うことにある。

 

確かに学校は命をかけてまでいくべきところではないから、追い詰められるくらいなら、自分を嫌いになってしまうくらいなら行かなくていいと思う。

 

ただ、行かなかったリスクは背負わなければならない。

苦渋の決断にはなるだろうと思う。

非合理で、理不尽だけれども、社会はそんな風に出来ているのだから。社会は大枠システマチックなのだから。

情だけではどうにもならないシステムがそこにある。

 

だからこそ、その行かないリスクもちゃんと説明して、(勿論、感情的にならずに。冷静に事実だけを告げる事)

選択肢の提示や代替案もだし、将来的にその子供達のフォローをする覚悟を持って、子どもたちに選択させてあげて欲しいと思う。

 

宇宙理論がどうかしらないが、思春期に学校生活をせずにただただ好きなことだけをすることはそのままだだ滑りで中年ニート引きこもりになるリスクを引き上げるだけだろうと思う。

 

キラキラハッピー教祖様界隈で何人かの好きな事だけをする不登校児を見てきたが、あまりの惨状に驚いた。彼らが社会に出る時には随分と苦労するだろうと思う。

 

キラキラハッピー教祖様界隈の某脚本家の方のブログに以前登場した事もある、好きな事、得意な事をして生活をしている筈の某芸術家の内情が随分と大変であると聞いている。

 

生きづらそうだなあ、

が私の感想で、

 

そういえば、知人のデザイナーも、モデルも、美容師も、作家も、みんな生きづらそうだなあと思う。

(音楽家や芸術家はそもそもそれ一つで飯を食っている知り合いがいないので割愛。)

 

個性であったり、自分一人で身を立てるということは、かように苛烈な事なのかと芸術家界隈を見て思う。

 

だから、どうか道を残して欲しい。

出来るだけ広い道の中で覚悟を持った選択をして欲しい。

 

覚悟を持って進んだ人間だって随分苦しそうなんだから。

 

社会性とコミニュケーション能力を磨きあげることが本当に大切なのだ。

 

甘言に騙されている暇などないのだよ、と思う。