マナーや礼儀について思う事

某教祖様のブログを見て考えた事があるので記す。

 

https://ameblo.jp/kokoro-ya/entry-12425196243

 

『自分が、
 
人に迷惑かけないように
嫌われないように
不快にさせないように
 
礼儀やマナー、
ちゃんすることや
 
いつも笑顔で!
マイナスな事は言わない!
ばかりを
考えて生きてるひとは、
 
ずっと周りを見張ってる。
ずっと自分を見張ってる。
 
粗相(そそう)しないか
迷惑かけてないか
怒らせてないか
 
ひとを不快にさせてないか
嫌われないか
ちゃんと守れてるか
 
後ろ指さされないか
親に恥かかせてないか

 

見張ることに忙しくて、
自分を生きてる暇がない。
 
しんどかろ。
 
で、守れないときは、
自分のこと、
責める責める、
 
相手のことも
責める責める責める、
 
正しくないわよ!と。
 

そこに90パーセント以上の
力を使ってるから
 
好きなことなんて
してる暇もない。』
 
 ある一面において素晴らしい事を書いているとは思うのだが、なんだか違和感を感じると思った。

 

どのあたりに違和感を感じるのか考えてみたところ、マナーや礼儀について、私とは違った捉え方をしているのではないかと思った。

 

マナーや礼儀は、当たり前だが、人に見せつけるものではない。

 

また、当たり前だが、マナーや礼儀を守れずに人に迷惑をかけてはいけない理由は、

人に嫌われないようにする為でも、人に不快に思われないようにする為でもない、と私は考えている。

 

お互いに気持ちよく過ごす為のちょっとずつの配慮と工夫だと私は捉えている。

 

だから、マナーや礼儀にビクビク怯える必要はなくて、

 

例えばそれを守りきれなかったり、逸脱してしまう事があっても、

相手への思いやりや配慮があってこそであれば、必ずしも遵守すべきものではないと思っている。

 

マナーや礼儀は、突き詰めて考えれば他者への思いやりを形にしたものだと私は思っているからだ。

 

また、

 

後ろ指刺されていないか、親に恥をかかせていないか、ともあるが、私はこれは別視点捉え方としてみれば、別にそんなに悪い考えではないと思う。

 

親への配慮や愛情を感じるからだ。

 

それで苦しくて苦しくて仕方ないのならば、

 

マナーや礼儀を守らなくても良いとする考え方を加える前に、

 

親と自分は全くの別人格であるという事をしっかりと認識すべきだし、

そう言った認知の歪みの改善を先にするべきだと思う。

 

当たり前だが、親への苦しみとマナーや礼儀を守る事は別問題だ。

 

マナーや礼儀は当たり前だが、親ではない。何故そこを、イコールしているのかがわからない。

親がやるべきとした事をやらない事が新たな自立に繋がるなどという発想は厨二病的である。 

 

やるべきかやらないべきかは、本来親は関係なく、自らのモラルによるものだと思うのだが。

 

あと、別に、とんでもなく社会から逸脱しない限りいちいち誰も他人なんか見張っていない。

ちょっと被害妄想的な発想だなと、ゾッとした。

 

マナーや礼儀を守れていない、と注意される事があるかもしれないが、基本的にいちいち他人を見張れるほどヒマな人間はいない中で、わざわざ何故そう言われたのか省みた方が良い。

 

他人に責められても、事実に沿ってそれが正しいか正しくないか判断することができれば、自責も他責も対して変わらないと思う。

 

 

大概は相当逸脱していたか、自分を思い遣ってくれての事だと思う。

 

確かにその時は恥をかかされた、とか恥をかかせてしまったと自責の念が湧いてくるだろうが、一つ学べたなあと思えば感謝の念もわくものだと思う。

 

怒らせてないか、迷惑をかけていないか、

不安になる気持ちもわからないでもないが、  

 

そもそもお互い様の世界であるし、

自分が怒らせてしまった!迷惑をかけてしまった!私が悪いの!!

 

と何についても思うのは立派な認知の歪みである。

 

悲劇のシンデレラ思考で白馬に乗った王子様が助けに来てくれるのならばいくらでもやるべきだが、大抵の場合はそんなにうまくいかない。

 

何が悪かったのか、冷静に捉えて、次にどうするか考える方が良いと思う。

 

また、いつも笑顔でマイナスの事を言わない!人はその心意気や良し!と思うが、人間としてはやや不自然だと思うので、まあ性に合わないなら、あまり無理をしない方が良いと思う。

 

某ゲスの極みな音楽家と不倫した元気系タレント然り、現実を直視できなくなると思う。ポジティブが必ずしも良いとは限らない。

 

禍福は糾える縄の如しと言うだけあり、人生はいいことも辛いこともあるのだから、いつでも笑顔でポジティブ★アーンド感謝ですってのもかなり不自然だと思う。

 

ではなぜ、私がこの教組様のブログをのぞいたかと言うと、キラキラハッピー教組様の新ブログを覗くついでに思い出し、ブログを読んだに過ぎない。

いちいち他人を見張れるほど私は暇ではない。

 

ただ、そんな暇ではない人間がふと覗いた時に、それってどうなんでしょうね?

と頭の上に疑問符が浮かぶようなブログを書いているのは、

 

ベストセラー作家や心理カウンセラーとしての資質を疑われても仕方ないと思う。

 

また、私はこう思うと記すこともアンチになるのであれば随分と狭量な界隈であると思う。発展は見込めないだろう。

 

出来れば私は自説を教組様方に私の疑問とともに論破してほしいと思っている。

 

ちなみに、私は改行がやたらと多く曖昧な表現の多い文章は好みじゃない。

 

詩文から背景を想像する事は好きだが、自己啓発や心理を取り扱う文章であるならば、単に不親切なだけだと思うからだ。

 

ベストセラー作家なら目的に合わせて文章を推敲してから公に出して欲しいよなぁという、あくまで一読者の意見である。