ディスカッションについて思う事

つくづく我々日本人は私を含め、ディベートやディスカッションについてよく理解をしていないよなあと最近思う。

 

そもそも、ディベートやディスカッションが成立しない相手に対して、先ずはその言葉の定義を理解してもらうところからしなければならないというのが、面倒くさい。

 

国語や算数のように科目として対話という授業があってもいいかも知れないな、と思う。正直、リテラシーを身につける事と同じくらいにこれらを身につける事が今後必要になってくると思うからだ。

 

このブログは基本的には私の考えをまとめる目的と、情報提供の目的があるのでまあつらつらと書いているが、

 

ディベートやディスカッション的な目的があれば、

内容は大きく変わってくるし、

使用する単語も対話相手や、伝えたい相手に伝わりやすいものに変えるだろうと思う。

 

私にとってこの矢鱈と硬い文章が一番書きやすく思考を整理しやすいのでこうしているだけで、受けてのことは最小限にしか考えていないのかもしれない。

 

 

さて、様々な信者様を眺めていて思う事は語彙力の差はあれども対話能力と言う点においては差がないと言う事である。

 

自分の主張を一方的に繰り返すだけであり、正直言って対話相手として見た場合、私なら壊れたラジオかなんかなんじゃないかなこの人、と思って話す気すら起こらなくなる。

 

ディベートにしろディスカッションにしろ相手の言葉に反対したり、自分の主張を一方的にするものではない。

当たり前すぎるのだが。

 

とはいえ、信者様がたがディベートやディスカッションについてやり方を具体的に知らないだけの可能性もあるので、

 

具体的なわかりやすい例を挙げてディスカッションとディベートとして示して見たいと思う。

 

テーマはキラキラハッピー教祖様の縄文祭で起こした諸問題について。

 

a.反教祖様側は、彼女の起こした問題について疑問を投げかける立場とする。

 

b.信者様は、彼女を信じ、擁護する立場とする。

 

1.ディスカッションパターン

 

a.縄文祭では、島民へのイベント周知が十分ではなく、深夜まで続く騒音問題や公園の芝生が焼かれる問題があった。

それについて信者様方はどう思っているのか、それでもなぜ彼女を信じるのか伺ってみたい。

 

b.まず、教祖様の教えと縄文祭での諸問題は別問題として私は考えている。

その為、私の信仰心は変わらない。

また、教祖様の立場からすれば準備期間も短く、十分な周知やリスク管理が出来なかったのだと思う。

 

芝生が焼かれた件については、すでに芝生は張り替えており十分に補償していると思う。

私側からの疑問としてはなぜ、一度の失敗でこのように教祖様が非難されるかわからない。

 

 

a.たった一度の失敗と言うが、人が多く関わっているのだから、非難されるのは当然ではないだろうか。

 

いくら準備期間が短くとも、人を集めてイベントをする以上は、リスク管理や情報周知は十分に行うべきだと私は考えている。

 

また、公的な謝罪も無しにただ芝生を張り替えただけでは、問題を揉み消したようにも思え、不誠実な対応だと不信感がつのる。

 

不信感に重ねて言えば、人を集める以上は集まった人々に安全に過ごしてもらえるような環境づくりをする必要があるが、教祖様はそれすら怠っているのではないか。

 

それは、寒さ対策や、寝袋、雨天時のリスク管理などで証明されている。

 

私からすれば、あなた方信者を軽んじているように見えてしまう。

以上の点からなぜ信仰心が変わらないのかと疑問を感じてしまうのだが。

 

b.確かに、安全面では不安があったと思う。

また、公的な謝罪がない事は不信に思われても仕方がない事だと思う。

その点については非難も致しかないのかもしれない。

 

ただ、私の信仰心は変わらない。

 

何故ならばそれは彼女の単なるチカラ不足であり、私達信者を軽んじていると言う証明にならないと思うからだ。

 

彼女は私達を最大限に楽しませてくれようとしたが一部上手くオペレーションが回らなかっただけだと解釈しているからだ。

 

しかし、多くの人々が不安になった事については教祖様の代わりに信者として謝罪をしたいと思う。

 

私達信者のサポート不足の面もあったと思う。

大変申し訳無かった。また信者として、公式な謝罪を教祖様にも求めたいと思う。

 

a.公式な教祖様からの謝罪があれば受け入れたいと思う。

 

また、公式な謝罪があれば今後、このようなイベントの際にどうするべきか私も共に考えてみたいと思う。

 

一例として、やはりどんなに準備期間が短くとも島民に広く周知されるまではイベントを行わない、地元の顔役や議員などのリーダー達にイベント主旨を理解してもらう場を設ける、できれば地元民と触れ合いの場をイベント開催前に設け、話し合いをする事を提案する。

 

 

当日はタイムスケジュールの徹底管理、イベントスケジュールを広く認知してもらえるように公式サイトや地元の新聞でこれを知らせる事、

夜21:00以降は騒音対策として音響を下げる事や、静かなイベントに切り替える事、

観光資源の有効利用や安全確保として、宿泊施設の利用を進めたいと思う。

 

…。

 

↑おわかり頂けるだろうか。

 

相手の言葉に対して反対意見を述べるのはディスカッションではない。

 

長くなりそうなので、ディベート形式はまた次回にするが、

 

ディスカッションはお互いの落とし所や、及第点、アウフヘーベン、理解を深めていくところが肝なのである。

 

発展的な話し合いにはまず、互いがしっかりと現実を直視し、事実を積み上げ、社会的側面も踏まえて判断したり発言する必要がある。

 

正直、信者様界隈をぶらぶら散策しているとこれをできる人は今のところゼロなんだなと思っている。

だから、社会から爪弾きにされて、教祖様に依存するのだろう。

 

大抵の人間は話し合いが出来ない人間を避けるからである。

 

必要であればもっと易しい言葉遣いやわかりやすい例や表現で具体例を示す意思もあるが、

 

正直、ただ対話するだけが出来ない所が信者様になる所以だとも思うので、

 

知性を磨き、この程度は理解出来るようになって欲しいよなあと思う。

 

ま、社会復帰したくないならご自由にどうぞ。