教祖様は殺人幇助予備軍、その理論でいくならば

教祖様界隈のブーメラン芸に磨きがかかっていて、ああ毎日笑える事があるって素晴らしいなあと思って日々過ごしている。

 

そんな中、アメスピ界隈で久々にやばそうな教祖様を発見し、観察するかどうか思案中。

 

以下引用。

 

「虐待は、絶対に悪いことですか。
許されないことですか。

虐待してしまう人には、虐待してしまう理由があるのです。その理由を無視して。ガン無視して。

虐待してこと「だけ」を見て。


このやろーお前は卑劣だ!と罵る

そうなった背景」を知らないのに。知らないのに。知らないのに。知らないのに。知らないのに。知らないのに。知らないくせに。

起きたこと「だけ」見て。
攻める。


そうなった理由は「無視」「ガン無視」


虐待!悪い!ハイ終わり!

もし、そうじゃなかったら。もし、そうじゃなかったら。もし、そうじゃなかったら。


虐待してしまった理由がその人にはあるということになるよね。

 

虐待してしまうのは、虐待してしまう理由があったから。

その理由を無視して。

虐待だけ攻めて虐待減るんだろうか??意味あるのかな?

悲しみの連鎖の先に、虐待ってあるのに。
虐待した人の「苦しみ」は無視かい。


もう「虐待した人を攻めたいだけ」としか思えない。笑。


罪人を作って、パーティー開きたいとしか思えない。笑。


ワイドショーで、虐待叩いて、ツイッターで、子供かわいそうと呟いて、、、


なんか、パーティーしたいんだなとしか思えない。笑。

虐待した人の心の傷。虐待された人の心の傷。


そっちをみてあげることが先ではないだろうか。虐待パーティーする意味ってなんだんだろ。


虐待許さない!!


その先に何があるの?虐待減るの?虐待なくなるの??へーー、かんたんやねー。。

 

虐待許さないって思ってる人って、虐待について考えたことがないだけなんだな。きっと。

 


だって、「虐待許さない!!!」って言ってることになんの意味もないのに。虐待許さないって言えてるのは、虐待について考えたことないんだな。

 

少しでも虐待を減らしたかったら、虐待する側の心の傷に向き合うわけだから、


虐待する側(親)の人の心の傷の方を見たら「虐待許さない」と言っても意味がないことに気づくはずだから。


虐待する側(親)の気持ちを認めてあげることが、虐待を減らす方法だと思う。

「虐待を減らしたい人」→虐待は嫌い。でも、、許す。攻めても意味がないから。それより、親の心の気持ちを見てあげよう。


になるんやな。

虐待許さない。
・虐待悪い。
・虐待はダメ。

 


としか言ってない人って、


虐待を罰したいだけで、
・「虐待を減らしたい」
・「なくしたい」
・「解決したい」とは、


思ってないんだな。


だから、話し合わないんだ( ゚д゚)目的が違うから。笑。」

 

何故虐待を減らしたい、なくしたい人々がわざわざ犯罪者の気持ちを考えてやらねばならないのか全くわからない。

 

彼らに必要なのは、専門家による治療であり、一般市民による優しさではない。

 

世論の役割を、随分と勘違いしている教祖様である。

 

 

これは犯罪者をつけあがらせるような、脳内お花畑理論である。

 

話し合わないのは、常軌を逸した行動をしている人間に一般市民の話が通じるとは思えないから、専門家に任せるべきだからである。

 

また、その理論で行くならば、教祖様は虐待されても殺害されても、相手の気持ちを考えて許さねばならないだろう。

 

5ちゃんねるに貼り付けられて、殺害予告のオンパレードになっても恐らく訴えないはずである、相手の気持ちを考えて許してくれる筈である。その理論で行くならば。

 

いやあ、すごいですねー、心広すぎでしょう。身の危険を、一切省みないその姿勢に憧れますわ。勿論嫌味である。

 

社会道徳をなんだと思っているのだろうか。是非ともご教授願いたい。

 

犯罪を抑制する為にも、虐待は非難されるべきだと私は思う。

 

どんどん叩けとは言わないが、非難して然るべきだ。

世論が絶対に許さないとした上で、専門家による適切な治療が必要だろう。

 

勿論、似非心理学者ではなく。

 

また、その理論では、殺人は悪くない、殺人者の気持ちを考えよう、それが殺人を減らす方法だと言っているようなものだ。

 

殺人者の気持ちを考える事で殺人が減った事があるのか?

有史以来一度だってないだろう。

 

犯罪の抑制が相手の気持ちを考えるとかジャッジを手放すなどのお花畑できゃっきゃうふふな理論でできる訳がない。

 

犯罪抑制に努めた先人達を愚弄するのはやめたほうが良いだろう。

 

ブログではバカみたいに小説風で虐待をしてしまう人の想像をしていたが、

頭が悪すぎて、転記するのもやめた。

 

同じような環境の人間が耐えて耐えて我慢して虐待せずに精一杯、誠実に生きていることは誰にも知られず賞賛もされないのに、

 

虐待している人間は可哀想にと同情され共感され他の人に心の傷を癒してもらえるなんて事があっていいのだろうか。

 

同じ環境でも虐待しない人の方がずっとずっと多い。

 

虐待しない事は当たり前である。

だから、していない人々は、私は虐待をしていませんなどと公言しない。

虐待をしない人としての誠実さは評価されない。

 

にも関わらず、何故それが出来ず、社会道徳を犯し、犯罪を犯す人々に合わせてやる。そんな者の気持ちを汲み取る必要があるのだと言う。

 

虐待をしてしまう事に苦しむ人々がいるのは知っている。

彼らは専門家の適切な治療を受けるべきだ。

 

素人の癖に適当な事を語り虐待する人間の肩を持つような人間が、専門家の邪魔をするなよと、私は思った。

 

見方によってはこの教祖様は殺人幇助予備軍だろう。

 

私は虐待を許さない。

虐待は犯罪だ。

責めるし、罵る。

 

それが世論の役割だと思うからだ。

 

教祖様は、同じような心の傷を抱えていても虐待しない人々がどれだけいるか考えた事があるのだろうか。

 

心の傷を抱えていれば虐待していいのか。人を殺していいのか。

 

虐待された側の気持ちは。そんなブログ記事をみてどんな風に感じるのか考えなかったのか。

 

何故犯罪者を許すのが当然だと言われなければならない。そんなのはセカンドレイプと同じだろう。

 

許すも許さないも被害者が決めるべきだし、被害者にはその権利がある。

他人が口出しすべきではない。

 

許したくないなら許さなくていい、

何故なら加害者は被害者に許されないような事をしているのだから。

 

被害者が加害者を許せないと苦しむ必要なんてない。

被害者の優しさは加害者に向けられるべきでは無く、被害を受けてなお真摯に生き続ける自分自身に向けられるべきだ。

 

無理に許す必要なんて、どこにもない。

 

何故真っ当に生きている人々に更なる苦しみを与える必要があるのだ。

 

こんな理論が許されるのならば、

 

真っ当に生きている人々の誠実さは、敬虔さは、健気さはどこに行けばいい。

 

真っ当に生きて、損するばかりなんて、犯罪者連中に虐げられて、苦しめられるだけなんて、そんなの、おかしいじゃないか。

 

何故この教祖様は犯罪者の気持ちや病人の気持ちに寄り添えて、被害者や真っ当な人々の苦しみがわからないのか非常に理解に苦しむ。

 

私はこんな教祖様は頭がおかしいと思う。

でも、許せなくていいし、理解できなくていいと思う。

 

ワンネス?ジャッジを手放す?犯罪者と誠実な人々を一緒くたにする理論など無価値だ。

何故いじめが、戦争がなくならないのか、共産主義が上手くいかないのか、まじめに考えた事がない人間の頭の悪い理論など鼻先で笑う価値もない。

 

私はこの教祖様にわざわざ苦しみを抱えて生きるなんて馬鹿みたいと見下されても構わない。

 

私は真っ当に生きている人々や虐げられた人々の苦しみや悲しみを、

理解できない人間になどなりたくないからである。

 

犯罪者や病人の気持ちに配慮する事が、社会を良くするなんて脳内お花畑の住人になど成りたくない。

 

真っ当に生きる人々の誠実さが、美しさや健気さがわからない人間になど、成りたくない。

 

自らの審美眼を、誠実さを、下らない教祖様や思考を放棄した唾棄すべき人間擬きたる信者様方のために歪めたくなどない。

 

私は真っ当に生きる人々の気持ちや誠実さこそ理解する必要があると思うし、犯罪者の気持ちなど理解する気はさらさらない。

 

真に厚遇されるべきは、誰だ。

精々その空っぽの腐った花弁の詰まった頭で考えるがいい。

 

自らの虐待に苦しむ人へ。

 

あなたは、病気です。

適切な治療が必要です。

たくさんの人の手を借りて治療する必要があります。

あなたを救ってくれるのは優しい言葉ではありません。

自らの罪に向かい合う自らの勇気です。

 

あなたが虐待をやめない限り、

私はあなたを許しません。罵ります。

人間扱いすらしません。

恐らく社会の多くの人がそうでしょう。

 

自らの罪に向き合い、治療を受けるために行動し始めたならば、

私はあなたを尊敬します。

自らの罪に向き合う勇気を称えます。

 

虐待してしまう苦しみを周りの人10人に相談して下さい。出来れば赤の他人に。

周りに人がいなければ、福祉施設、市役所、病院など行政や精神科医や看護師に相談して下さい。

誰でもいいから、助けを求めて下さい。自らの罪に向き合う人を心底助けてやろうとする人は、10人の中に必ずいます。

 

真っ当な人間は、真摯に罪に向き合う覚悟のある人間を、傷つけません。

あなたに石など投げません。

 

あなたはきっと救われます。

どうか、詐欺師の甘言に騙されないで、素直に助けを求めて下さい。

 

お願いだから。

あなたの勇気こそが、たくさんの人を救い、社会を良くするのだから。