心屋心理教教祖様の文才

心屋心理教教祖様の本を私は読んだ事がない。

 

道徳や倫理に反した内容が書いてある事や、やたらと行間が多く、おまけになんでも〇〇して良いんだよとしか書いていない本に価値を感じないからである。

 

正直、自分の時間がもったいないので、これからも読まないと思う。

 

この前アメブロに行く機会があったので心屋心理教教祖様のブログに目を通したところ、驚いた。

 

以下引用。

 

「自分のこと責めてる人は、 
 


心屋の文章を読んで腹が立ったり
悲しくなったりする
(責められてると感じる)し、


自分のこと責めてない人は
「何を当たり前のことわざわざ言ってるんだろ」
と思う。 
 


 
**** 逆に言うと
 
心屋の文章を読んで腹が立ったり
悲しくなったりするひとは
自分のこと責めてるし 
 
「何を当たり前のことわざわざ言ってるんだろ」
と思うひとは、
自分のこと責めてない。
 
 
心屋を使ってまで
自分を責めないでおくれ。」

 

なんていうか、物凄くいい事を言っているのだが、

前提条件全てが逆であり、

思わず大爆笑してしまった。

 

いや、あなたの言っている事の大半が倫理や社会道徳の真逆であり、

 

それに腹を立てている人は、倫理や社会道徳に対して、なんら恥じるところなく、自分を責めていない人々なのだ。

 

私から見れば。

 

そして、心屋心理教教祖様に腹を立てなない人々こそが、倫理や社会道徳や社会そのものから責めたてられているように感じたり、社会から爪弾きにされていると孤独を感じている人々に違いない。

 

私は常々、どうしてこんな中身の無い阿呆みたいな文章でベストセラーなのかと疑問に思っていたのだが、

 

彼の物事を切り取る能力や、それをわかりやすく伝える才能はやはり否定できないと笑ってしまった。

 

認めよう、彼には才能がある。

 

だが、発揮すべき機会に存分に恵まれるには、彼がもっと多くの人々に支持されるには、あまりに彼は教養がなさ過ぎる。

 

寧ろ、才能だけでここまで阿呆なのに登りつめたのは本当に素晴らしいと思う。

 

彼には道徳観念や倫理や社会に対する敬愛の念がないし、他者に対する敬意がないので、

誰からも愛されなくてもおかしくないのに。

 

何という才能の無駄遣いなのだろう!

 

一見弱者の味方のように見えるこの文章は、自分の思想に弱っている人々が甘えるように誘導しているし、社会から隔絶しようとしているようにも見える。

 

主語か個人ではなく、道徳や倫理のような観念だったら、どんなに素晴らしい文章だっただろう。

 

彼に道徳や倫理が理解できるだけの教養と謙虚ささえあれば。

 

天はやはり二物を与えないのかもしれない。彼には徹底的に足りない物があるし、今さらそれを手にする事も難しいだろう。

 

ああ、本当にもったいない。

ギフトは使われないまま、器は育たないまま、世の中の多くの人々から唾棄すべきものとして、排除されるのだろう。

 

もう後戻りが出来ない所まで来てしまっているし、

 

最初からお金だけを見ていたわけではないのだろうに、思わぬ大金に目が眩み、それた道を選び続けてしまったんだろうなと思う。

 

まともな人々は先鋭化が始まった時点で彼を切り捨てているだろうし、

イエスマンしかいない地獄で楽しく余生を過ごすより他ないだろう。

いつ終末の鐘が鳴るのかと怯えながらも、心理教の教祖様を続けるより他ないのだろう。

 

さようなら、教祖様。

 

まあ、あとは、甘いものをやたらと摂取しているようで、糖質異常や糖質依存なのかもと思う。

 

ひょっとしたら、脳の気質が関係しているのかもしれないというのは私の穿ち過ぎだろうか。

 

もし私の予想が当たっているのならば、彼の言動の危うさも、その先天的気質によるものだという見方もできるし、異様な食生活もその気質ゆえと思う。

 

ま、信者様方は彼の食生活を真似しない方が良いだろうなあと。