驕りと機会について

「それで貴方のファンは増えるかもしれない。でも、私達はチームで働いているのだし、前任者の気持ちはどうなるだろうか?」

 

と、言われた事があった。

顧客のニーズを最優先し、誰よりも私がそれを理解している、私が一番正しいのだと言う驕りがあった事にその時初めて気がついた。

 

穴があったら入りたいとは正にこの事だと思った。

 

私は自分を優秀だと思っていないと考えていたが、共に働くチームについて思いが巡らなかった時点で、

 

彼らを信頼せず、軽んじ、自分が彼らよりずっとずっと優秀だと考えていたのだろうと、その時にわかった。

 

人は、自分の未熟さに対峙する時、身の置き所がないような、恥ずかしさでいっぱいになる。

 

まして、他者からの指摘であった場合、自分でも見る事が出来なかった自分の未熟さや甘さや驕りを突きつけられる訳で、

その恥ずかしさたるや、ストッキングの中にスカート入っててパンツが見えたまま銀座を闊歩するどころの騒ぎではない。

 

多少なりとも、自分が正しいと思っていたのだから他者からこんな風に見えていたのかと思えばショックだし、恥ずかしさに身をよじる事になるのだが、

 

大切なのは、その後どうするかと言う事である。

 

幸いにも私は指摘してくれた上司に恵まれていて、

 

前任者のフォローをする事や共に働くチームメイトに足並みを合わせる事を学んだのだが、

 

転じてスピ界隈に目を向けた時に

 

彼らが矢鱈と自分たちは悪くない、アンチは嫉妬だと騒ぎ立てる事は

 

こういった恥ずかしさからくるのかもしれない、と思った。

 

私は繰り返すが、特段優秀だとは思わない。

 

ただ、顧客のニーズをキャッチする事や、それに対応した現実的な提案をする事に関してはチームの中で自分が一番であると確信していたに違いないし、

 

その尊大さが見えていたのだと思うし、

顧客のニーズや気持ちを重視しすぎるあまり、共に働くチームのメンバーの気持ちを疎かにしていたと言うか、彼らに対するリスペクトを忘れていた。

 

そういった未熟さや視野の狭さに気づく機会が与えられる事を嬉しく思う。

 

教祖様達も自分たちの未熟さを指摘された時に、機会に感謝出来ると良いなと思う。

 

彼らは、ワクワク、楽しい、感謝、循環ともっともらしい事をさも知ったげに話し回るが、実際には日々の生活の中にこんなにも様々な機会がある事を忘れてはならないと思う。

 

生きているだけで気づきの機会が与えられているのだと、感謝できれば、と思う。

 

学びの機会は多くある。