スピ界隈と不美人考

以前、スピ界隈には不美人が多いと言うか不美人しかいないと記した。

では何故そうなのかと少し考えてみたいと思う。

 

正直、スピリチュアルキラキラハッピーしている暇があれば、訳の分からないセミナーに大枚はたいて、キラキラスピリチュアルイベントにはしゃいで参加する余裕があるのならば、

 

それなりにカットやカラーの技術の高いヘアサロンに行き、コスメカウンターでメイクをした方が良いと思う。メイク自体が苦手ならば銀座の資生堂ビルでやっているパーソナルメイクレッスンに参加するとか、ダイエットしたいならば、ジムに行くとかなんかすれば良いと思う。

 

そう言った適切な努力をしたくないと言って、キラキライベントに参加しているのは百も承知なのだが。

 

では何故適切な努力を避けるのかといえば、今の自分に対して自尊心が低いにもかかわらず、未来の自分に対しての期待値が大きすぎて、なんとか理想と現実のギャップを埋めたいと考えているからだろう。

 

あまりにも理想と現実のギャップが激しすぎるから、乖離しすぎているから、適切な方法ではもう無理かもしれないと思っているのだろうし、

 

今の自分が大したこと無いと思っているから、そういった適切な努力をできる場所を避けているのだと思う。

 

今の自分には相応しくないと言う一見謙虚にみえて、実はかなり不遜な理由で。

 

楽に綺麗になる方法はない。

 

また、あなたが今綺麗でないのだとしたら、それは綺麗にならない理由があってのことなので、適切に努力したらどうかと言う進言に対していちいちできない理由を述べるのは、不美人のままでいいと言う宣言に過ぎないと思う。

 

私はあなたが美人だろうと不美人だろうと困りはしないので、できない理由を滔々ときかされても困るし、正直理解に苦しむ。何故パーソナルな美的価値についてできない理由を説明する必要があるのだろうか。

 

美人が常に金をかけているかといえばそうでもない。周りに異常に美人ばかりいる私がそう語る。

 

先天的な素養も勿論あるのだが、そもそも不美人達がキラキラスピリチュアルしている時間を使って、綺麗になる為にヘアケアをしたり、いつもより少し丁寧にスキンケアをしたり、ネイルをしているに過ぎない。

 

時間は基本的には誰に対しても平等に与えられているし、それをどう使うかの自由もある。

 

一時的な快楽に溺れてぼろぼろの髪や肌やネイルで下品に笑い続けるのか、

今の自分に向き合って適切に努力するのかを選ぶ自由もまた与えられているのである。お気に召すまま。