糸が途切れた人形は。キラキラハッピー教祖様

キラキラハッピー教祖様のブログが心配である。

 

なんだか迷走しているようで、瞑想している場合じゃないと心配してしまう。

 

彼女はやはり、アイドル教祖をやめるつもりはないのだなあと思うのだが、一部の狂信者を除き彼女にエンターテイナーである事を求める人は少ないと思う。

 

非常に市場のニーズが低いのではないだろうか。

彼女の魅力はその素朴さと身近さにあり、アメリカや韓国のダンススクールで学んで…と言う素人の金にモノをいわせた体験にはないと思う。

 

彼女に私はダンスの才能を感じることができなかった。

下手くそでも何か光るものがあったり、伝わるものがあったりするのだが、

笑える教祖様のお歌と同じで、恥ずかしそうに、所在なさげにでも、不貞腐れたようにカッコつけて踊っているので、ああ才能も見どころも無いなあと残念に思う。

 

見ているこっちが恥ずかしくなるので、エンターテイナーはまずは恥を捨てて、歌って踊って欲しいと思う。まあ、技術が追いついていなかったり、周りを巻き込むほどのオーラがなければ周囲の風景から浮いてしまい、それはそれで限りなく喜劇のような悲劇なのだけれども。

 

誰も望んでいなくても、私が私の為に踊る!でも良いのだが、それならお金をとってはいけない。

 

繰り返しになるが、キラキラハッピー教祖様が多くの人に支持された大きな理由の一つが、どこにでもいそうな、ありふれた身近さ、親しみやすさにあると思う。言葉を選ばなければ、垢抜けない、イマイチぱっとしない所にあると思う。

 

だからこそ、顔出しをしたあの本は売れたのだ。

この、私よりもぱっとしない人にも出来たのだから引き寄せって私にも出来るのかも!と言う勘違いを引き起こすことに成功したのだ。

 

彼女が、もう少し美人だったら、華やかだったら、オーラがあったのならば。

あの本は売れたとは思えない。

 

彼女は垢抜けない、イマイチな女性だったからこそ、多くの人に支持されたのだし、教祖に担ぎ上げられたのだ。

 

それを、市場が求めていたから。

 

彼女がいま参入しようとしている界隈では彼女の理想とするキラキラハッピーエンターテイナーの彼女は求められていない。もっと一流の技術をもったカリスマ的な美人やダンサーが山のようにいるのだから。その中では彼女は埋もれてしまうだろう。

 

プロデューサーがいない彼女は随分悪手ばかり打つ。恐らくは自分を客観的に見られないからだろう。

 

裸の王様に服を着せる仕立て屋はいない。