蘆屋家の崩壊

所謂、猿渡物が津原泰水作品の中で最も好きなのだが、最近百田尚樹氏とのあれこれで話題になっていて、どうせなら同じ文庫でまとめて一気に出てくれないかしら、出来れば新装版で、と思っている。

 

ああ、お豆腐食べたい。

 

埃をかぶってしまいそうな名作が世に出るチャンスなのではないかしらと思ってしまうが、まあ、津原泰水からしたら腹立たしいことこの上ない案件で、私も一ファンとしてあまり良い気分ではいられないなあと思っている。

 

何がそんなに百田尚樹氏をはじめ、彼を取り巻く人々の腹を立てさせたのかと考えてみると、やはり、指摘なのだと思う。図星を突かれると人間驚くほど簡単に怒髪天を衝くものだから。

 

べつにwikiってても真実であれば良いのでは?と思うのだが、引用度合いにもよるし、何より作家としての美学や美意識が何か許せないんだろうなあと思う。

 

猿渡物をご覧になればよくわかるのだが、津原泰水氏の作品は独自の美学や美意識が微に入り細に入りこれでもかと詰め込まれているので、かれの作品に触れた事があるのならば、まあ、間違いなく百田尚樹氏は何がしかのプライドを揺さぶられたのだろうなあと思う。

 

いや、百田尚樹氏やかれの周囲の人々について、よく知らないのだけれども。wikiっても良いと思う作品作りのスタイルは津原泰水氏のスタイルとは真逆だろうから、まあ、なんかあるんでしょうねとも思う。

 

私のベストセラー作家の知人はゴーストライターに書いてもらう事を全く悪びれない。読者としては、あらまあと思うが、監修はしてるし、ちゃんとチェックしてるからとの事で。

 

また、ある心理学的なベストセラー本もゴーストライターがいるのだが、これも監修したから!私が書きました!!なんだろうなあと思っている。

 

忙しい作家や学者先生は、ぽちぽち何文字もタイプしていられないんだろうなあと思うのだが、読者からすればなんとなく裏切られた気持ちにもなるだろうな、とも思う。

 

別に百田尚樹氏にゴーストライターがいるとは言えないと思うのだが、あまりにお粗末な引用具合を考えるにひょっとして監修だけして、ゴーストライターにお任せしていたんじゃないかなあという下衆の勘ぐりをしてしまう。

 

作家としてのプライドがあるのならば、お粗末な引用をまさか自らしないだろうと、私は思っているから。

 

いくら締め切りに追われているとは言え、wikiから引用とは、お粗末が過ぎるだろう。

 

この件に関して外野の編集者がやいのやいのと言っているようだが、馬鹿だなあと思う。年々書籍の価値が目減りしていて、今や新たなコンテンツに全てを奪われはじめている業界に、大作家だからベストセラー作家だからとヨイショする価値なんかないだろうに。

 

ベストセラー作家の靴を舐めているうちに、業界自体が無くなる事だってあるだろうに。

 

蘆屋家の崩壊はもう始まっている。

さて、真に価値があるのは一体なんなのだろう。