グリモ・ドゥ・ラ・レニエール

ホワイト国から格下げされたある国の友人が随分と変わり果てた。

 

最初は新しい彼女の影響だろうか?と静観していたがどうやらそうでは無いらしい。

 

私達が考えている以上に彼の国の実態はマズイ状況なのかも知れない。

 

私は私の毎日で忙しく、大変申し訳ないのだが自分の生活によほど食い込んで来なければ国際情勢についてなど考えない。

 

香港の友人については心を砕くが、彼氏と同居予定のイタリア人の友人については言祝ぐ程度、という様子であり、

様変わりした隣国の友人の藪をつついて蛇を出さないように気を配るが、アメリカ人の友人とはトランプ大統領の話よりも山Pの話をする有様である。因みに別に私は山Pのファンではない。悪しからず。

 

だがどうも世界はそうはいかない様子。

 

大使館で起きたテロについて報道しないマスコミは狂っているし、香港について、イギリス首相について、イランとCIAについてよりも朝のワイドショーの司会をしている芸人の進退を報じるなんてどうかしているとしか思えない。

 

これから夏休みだというのに、注意喚起の一つも流せないのだろうか。

 

私は別に元ホワイト国についてヘイトの意識はないのだが、やはり今時期はいかないほうが良いと思う。

 

日本に在住の友人でさえ、あれだけ様変わり、というかおいつめられているのだから。

 

国内感情いかばかりか。

 

テロだの国民感情だのを考えるとき、私はある人物を思い出す。

 

アレクサンドル=バルタザール=ローラン・グリモ・ドゥ・ラ・レニエール。

 

裕福な徴税請負人の子として生まれ、弁護士、そして美食家として名を馳せた人物。

 

演劇評論の傍ら、奇想天外な饗宴を多く開催し、注目を集める。

(←弁護士としてはほとんど働いていない。)

 

フランス革命の頃に美食家として名を馳せた彼は、やることなすこと奇想天外。細かな美学を打ち立てながら、既存の概念を打ち壊すそのセンス。

まさに革命的。時代の寵児である。

だから革命前においては、革命家の友人が大勢いた。

だが、革命が起きたら彼は突然、冷めてしまったのだという。

 

こんな風に絶対的に時代の流れに身を委ねること無く自らの美学を貫ける人がどれだけいるのだろうか。

 

私は最近の世界の流れを見て、肌で感じて

 

やたらと先鋭化していく正義やら主義主張やらナショナリズム的な何か、

革命前夜の騒めきに、

 

この美食家たれと自分を鼓舞せずにはいられない。

 

時代の狂乱熱狂に浮かされて踊らされる事ほど馬鹿馬鹿しい事は無い。

空気に飲まれるのではなく、空気を読みながらも自分の美学を貫けるように。

 

自分の軸を、世の中の流れではなく道理を見極める聡明さを、どうかもてますように。

 

梅の世はまだ始まったばかりである。

松の末までは、まだまだ先が長い。