キラキラハッピー教祖様と謝罪
キラキラハッピー教祖様のお友達が縄文祭について謝罪の意を述べた。
まあ、謝罪と書いてあるから、ご本人様の中では謝罪なのだと思う。
いつまでも過ぎた事をグズグズ言うのでは壱岐の方々を辛い思いに縛り付ける様なものだろうし、ほんのり嫌味を言うのに留めておくくらいが良いだろうと思っている。
要はあの界隈のカルト宗教が壱岐を聖地にしなければ良いのだし、
それぞれの謝罪についてのスタンスはそれぞれのモラルに基づいてなされれば良いのだから。
モラルについては随分散々たる有様じゃないかとも思うが
それもまた一つの私と言う人間の道徳観に基づくものなので、
まああの界隈のモラルの有様もまた一つ認められるべき価値観なのかもしれない。
キラキラハッピー教祖様は自分に不都合な事は無かったかの様に振る舞う。
お友達が縄文祭について口を開いた時分に、彼女はどうやら問題の壱岐にいたようだ。
別のお友達の引退インスタライブに参加していたようで、
なんだかなあ、
どうして信者様方はこれが良いんだろうなあ、
と首を傾げるばかりである。
普通に考えて、友人が自分の主催したイベントについて謝罪を口にするような事態に追い込まれているのならば、
何らかの型で相手にアプローチするなり、
自らもまた共に謝罪するなり、
何か出来る事があるんじゃないかと思う。
しかも、その舞台になった場所にいるのであれば、やりようはいくらでもあった筈だ。
しかし、なにもまるで無かったかの如く過ごされていたようで。
自分が為した事のために、友人が頭を下げるのを良しとするのは、
自分の為に友人が頭を下げているのをただ見ているだけなのは、
どうなんだろうなあ、と思ってしまう。
都合の良い時だけお友達で、
都合の悪い事は知らんぷりというのは、友人にしろ、熱心な信者にしろ、
使い勝手の良い幹部にしろ
随分な雑な扱いと関係だよなぁと、思ってしまう。
そういった意味で私はキラキラハッピー教祖様の熱烈な信者であるこの方を気の毒だと思う。
多分、貴女が思っているほど教祖様は貴女を思っていないと思うよ、
貴女が熱心な信者で、都合の良い人脈を持っているから切り捨てられていないだけだよ、と思う。
自分の事を好きな人を側に置くのは共依存的な不安解消方法だと思う。
お互いに、すきすき言っていれば良いのだし、場合によっては、貴女を思って厳しい事を敢えて言うのよと突き放しながらも、こんな事言うのは貴女だけ、だって貴女が好きだからと囲い込めば良いだけなのだから。
共依存関係で世界が完結するので、まあ、優しい閉じた世界だと思う。
自分にとって都合が良すぎる世界だから、出て来たくないのもわかる気もする。
社会に迷惑かけないのならばご勝手に、だが、完結した世界では経済活動はできないから、社会に迷惑をかけないわけにはいかないのかもしれない。
キラキラハッピー教祖様のまわりにはキラキラハッピー教祖様にとって都合の良い事しか言わない人間や、おべっか使う人間しかいないんじゃないだろうか。
そういった人々しか残さなかったんだろう。
悲しい事だと思う。
耳の痛い事を敢えて言ってくれる人が自分にとってどれだけ有難く、貴重で大切なのか知らないという事が気の毒でならない。
これもまた彼女達の選択なのだから、仕方のない事なのだが。
信者様がたは彼女達のどこがいいんだろうか?
教祖様の言葉ではなく、行動を、顧みれば気がつくこともあるんじゃないだろうか。
友人一人に頭を下げさせる事。
その間、
自分は、他の友人と楽しい時間を過ごし、承認欲求を満たしている事。
私は単純に友達甲斐のない人だなあと思うし、
三十路過ぎても思いやりが持てない貧しい人なんだなあと思ってしまうのだが。
楽しい時は誰かと一緒でなければいけないとか
いつも一緒にいる人がいなければならないのならば、
一人でいることがかっこ悪いとか寂しいとか思っているのならば、
まずは孤独に慣れる事をお勧めする。
大勢の中の孤独と、一人でいることは違うと思う。
一人でいられない人間はどんな御高説を述べようとも、誰一人として救うことなどできないと思う。
一人で立っていられないような人間は、誰も助けられないと思う。
私には、キラキラハッピー教祖様界隈の人々は教祖様に「お友達代」を払っているように見えて、とても辛い。
お友達代を払わなくてはならないくらいに振り払えない孤独を飼いならす努力は、一人きりでないとできないのではないかと思う。
お友達アピールにお金を払って、自らの自尊心を売り払うよりも、孤独に慣れる事が大人としての教養を身につける時間も生み出せるし、お得だと思う。
やりきれないなあ、と思う。
人に優しくできない人は、孤独すら飼い慣らせない、未熟さを持ち合わせている。
未熟な人間がそのままで良いと言うことは、ただの開き直りにしかすぎない。