春一番とキラキラハッピー教祖様
春の麗らかな日を胃痛とともに過ごしている。
まあ、忙しくなるとどうしても人と言うのは細部が疎かになるものだが、こういう時こそ細部にこだわらなければならないなあ、と自戒として記す。
久々に更新されたキラキラハッピー教祖様のブログを読んだのだが、
やはり彼女の文章から、初期のブログは彼女自身の言葉ではなく、プロデューサーやらゴーストライターが書いていたのだなあとしみじみした。
彼女の書籍を持っている人々は違和感を感じるだろうなというレベルの文章力である。
ちなみに、私はこのプロデューサーを知っている。気になる方はこのブログのはじめの頃を読んでほしい。
今回のブログ内容は、要するに私が気に入らないのならば見ないで聞かないで叩かないでということであり、
非常に残念に思った。
やはり彼女の凋落ぶりは凄まじいものがあるのだなと感じる。
そのように、気にいらなければ、見るな聞くな叩くなは、自分自身の行動や行為から逃避する事に過ぎず、
結果的に問題を棚上げどころか丸投げにしているだけなので、自分で自分の首を絞めているだけだろう。
もしかしたら、まだ、間に合うかもしれない。ちゃんと公式に謝罪をするべきだと思う。まあ、肥大化したエゴやプライドが故にやらないだろうけれども。
私は彼女を気の毒に思う。
本当に単純にふつうのアイドルになりたい、まだまだ夢を見ていたいちょっと、いやかなり痛いアラサー女性だったのに、煌びやかなハリボテのアイドル教祖様になってしまったものだから、彼女の人生はめちゃくちゃになったんだろうなあ、と思う。
単なる痛いオバさんだったならば、誰にも見られず、聞かれず、叩かれずも出来たのだろうに。
しかし、彼女は自分の成した事によるツケを払わなければならない。
他人のお金や時間や人生をミスリードした責任を取らなければならない。
私は彼女の信者たちが語るように、彼女を美人だともスタイルが良いとも思えない。別に現役モデルの知人と比べているわけではなく、本当にふつうだなあとしか思えないのだ。
snsやブログでのブランディング効果は、読者以外に発揮されないし、読者も消費者としてその対象に飽きてしまえば、その効果は霧散してしまう。
春の日はあっという間に気候も気圧も変わるわけで。同じように彼女の元から多くの信者様方が春一番に乗って去ろうとしているのかもしれない。
それは決してアンチの仕業ではなく、ただの自然の摂理である。
停滞し、成長と成熟を放棄した濁った水を人は好まないという、ただそれだけの事。