正義感は庇護欲は人の視野を狭くする

まあ、正義感なり庇護欲は当たり前だが人の視野を狭くする。

 

何かが正しい!とか、私は〇〇を守りたい!とか、私は誰かを守るために存在しているんだ!!という考えは、

 

どんなに正しい事を語っていたとしても、

 

己の正義感から外れる人間や庇護対象にどうしても注視してしまう事に繋がるので、

それが視野を狭くし、問題を悪化させたり、本人の精神状態をおかしくする要因になっているように思う。

 

無用の正義感や庇護欲は、捨て去るべきである。

 

こういった人々は、自分と相手の区別がついていないことが多い。

常に、理不尽な、そして相手にとっては理解不能

なんで私の思う通りにしてくれないの!?

という怒りを抱えていることが多いし、おまけに本人はまるでそれを問題視しないのだから大変タチが悪い。

 

先日、依存者の家族会がスピリチュアル依存者達を救うかもしれないと記した。

 

実はアルコール依存者の家族達もまた、無用の正義感や庇護欲を持つ人々と同じ問題を抱えている。

 

依存者をなんとかしよう!なんとかしなくては!救わなくては!!と思うあまりに自分の夢や目標、くらしや仕事、生活に目が行かなくなるのだ。

 

まずは、自分の生活や感情を整える事である。

自分自身の生活や気持ちに余裕が出てはじめて問題と向き合うことが出来るようになるのだから。

 

自分自身そっちのけで、相手に尽くす事を美徳と考える人々もいるようだが、何というか随分と尊大な考え方だなあと思う。

 

自殺もまた自分という人間を殺すのだから殺人であると言う考え方と同じ様に論理展開すれば、他人を幸せにする事や他人に尽くす事と、自分を幸せにする事や自分に尽くす事は同じく大切な事である。

 

どちらも同じくらいにできてはじめて価値があるだろうと私は思う。

 

自分と相手は違う。そこをまずは理解するべきだし、基本的に本人の問題は本人が引き受けて、問題行動なりなんなりを止めるメリットを学ばせることが良いだろう。

 

相手が子供の場合はまた別で、発達障害児の療育よろしく、良い行動をしたらご褒美が良いかもしれない。

 

また、育児に追い詰められているのならば配偶者に丸投げ、もしくは公的機関やを利用して、2.3日ホテル住まいや何やらで物理的に距離を取るのが良いだろうと思う。実際にそのようにしている人を私は知っている。彼女は、出来る出来ないではなく、やると言ってやっていた。

 

まあ、現代日本ではそのくらいの強固な意志と実行力がなければ子育てから逃げられないのだろうが、自分の為に、問題としっかり向き合う為に長期的利益を生み出すことができる行動をする聡明さや、視野の広さはやはり必要である。

 

あれが悪い、これが悪い、社会が悪い、弱者を守れ、弱者はかわいそう、

 

正直そんな事は誰だってわかっている。

とりこぼされる弱者はどこの世界にだっている。

 

そうではなくて、じゃあどうしたらいいのか、しっかり示しなさいな、と私は思う。そして、実際にそれを示したり、行動に移している人々を尊敬している。

 

愚痴愚痴社会問題だなんだと声高に叫ぶ元気があるのならば、具体的に解決に向けて行動しなさい。それが出来ないのならば、まずは自分の生活をしっかりと。

 

社会に問題提起て解決したいのならば、情熱的かつスマートに動きなさい。  

 

当たり前だがあなたと社会や世界は同価値ではない。

 

あなたは社会や世界の構成要素の一部であり、あなたの持つ正義感や庇護欲もまた、世界や社会にとってはそれを構成する砂粒のようなものである事をお忘れなく。

それを盾に動く事は非常にナンセンス。誰も心を動かさない。

 

と、思うのだけれども〜。

 

まあ、言論の自由はあるし、理想的な事を口にばかりして、社会が悪い世界が悪いこの世界は汚くて薄汚れていて酷い場所だというファンタジー?的な脳みそで生きることを好む厨二病が悪化した人々も多そうなので。  

 

まあご自由にどうぞである。そういう人間がスピリチュアルにハマると私は考えているのだが。

 

さてはて。

桃源郷は何処にありか、さもありなん。