スピリチュアル界隈とお友達代について思う事

ご紹介とお礼が大変遅くなりまして申し訳ございません。

この浅はかなるブログから様々考えてくださいました方のご紹介をば。

 

https://ameblo.jp/seimeino-oto/entry-12426848774.html

 

 

本当に本当にありがとうございます。

誰かに私の伝えたいことが伝わって嬉しいです。

 

まだお読みになっていない方がいらっしゃいましたら、是非。

 

私よりも柔らかく、優しい視点でお話しなさっていますから読みやすく、受け入れられやすいものと思います。

 

※コメント欄に真の自立と有名人のタグについて述べられているものがあったが、私はこのブログはアクセス稼ぎ目的でやっているものではなく、

多くの人目に触れその思想を広めたいというよりは、

あくまでも個人的なスピリチュアル考を述べているものだと思ったので、

自立的観点からの意見は趣旨から少し外れていて、見解の相違というよりは次元の異なる意見だと思った、と記しておく。

 

自立は難しい。

 

信者様方について思うとき、

まあ、もうそろそろ好きにしたら良いよと思う反面、

周りの方々の気持ちを考えるとさてどうしたものかと考えこんでしまう。

 

スピリチュアルイベントを観察していると見ていて痛々しいなあ、と思うのだが

じゃあ何処が、痛々しいのかと考えた時、

いい大人が【お友達代】を支払って

集団ではしゃいでいるからなんだなと思った。

 

であるからして、今回は、お友達代を支払ってまで他人と一緒にいたい人々に的を絞り、私なりの考えを記したいと思う。

 

無理してでもだれかと一緒にいないと不安だなんて、なんて悲しいことだろうと、まずは同情する。

 

無理をしてでも、お金を払ってでも誰かといたい人には

 

友達がいないとさみしいとか、

友達がいない事は恥ずかしいとか、

一人でいるのはみっともないという

価値観があるのではないかと思う。

 

だから【お友達代】を支払ってまででも集団ではしゃぎたいのかな、と思う。

 

スピリチュアルなんて、ただの理由なのかもしれない。

 

一人でいられない人達がなんとか互いの生きづらさに名前を付けて、共に楽しい時を過ごそうと必死になっているだけなのかもしれない。

 

まあ、それを共依存というのだが。

 

既存社会のなかでは自分らしくいられない、とか、こんなはずじゃなかった、私はもっと輝けるはずだったという燻った思いを抱えていて、

どうにもうまく折り合いが付けられないだけなのかもしれない。

 

まあ、そんなものは大抵の人が抱えているものなのだが。

 

スピリチュアル界隈をうろつく人間は被害者意識の塊になっていて、世の中すべてを下から睨め付けるような心持ちになっているだろうから、何を言っても通じないだろうなあと思う。

 

真の仲間はここにしかいない、等、イベントで高揚した気持ちのまま曖昧にスピリチュアル的な判断を下しているのではないか、と思う。

 

だから、生きづらさに直面するたびに新たな逃げ場を探して、新たなイベントに熱心に通うのではないだろうか。

 

他人や自分のブログで覗く世界に逃げ込んで、仮初めの世界で、見栄と承認欲求を満たしたいだけにしか見えないのだが。

 

時々驚くのだが、五十路を過ぎた女性達が一人でご飯を食べられないなどという。

 

一人でご飯を食べるのはどうやらみっともないのだと思っているようで、そういった時代の価値観をお持ちなのだなあと思う反面、高いお金を払った養成講座でレストランでわざと食い散らかす勇気と行動力があるのならば、一人飯くらい問題なかろうに、と嘆息する。

 

一人でご飯を食べる事は誰にも迷惑かけない。

一人でショッピングする事、

一人でコーヒーを飲む事、

誰も、みっともないとも思わないだろう。

 

と、いうか本人が、思っているより、誰もあなたを気にしていないんじゃないかと思う。

 

他人にとってあなたは他人である。

人目を気にせずとも、人目が悪い事さえしなければ、誰もあなたをみやしないだろう。

 

ただ、地方都市在住の場合は話が変わってくるかもしれない。

 

濃密な人付き合いに狭いコミュニティでのストレスがあるから、たまの遠出で仲間と弾けたいんだろうなと思う。

 

ただ、やはりはじけられる先での立ち振る舞いには気を配るべきだし、

一人で過ごす事にも慣れた方が良いと思う。

 

別に、いい大人なんだから。

 

地方都市在住の人々にとっては一人で過ごす違和感もあるかもしれないが、

一人でくつろぐ事を覚えるのもいいものだし、

 

近所の姦しい人々に一人で過ごす事について何か言われても、やましいことがないのならば、まあ適当な理由をつけて少し足を伸ばして一人に慣れたらいいと思う。

 

他人は他人であるし、他所は他所だが、それは、互いの違いに配慮しあうという前提があることを忘れてはならない。

 

地方都市では自他の区別が曖昧なところもあるかもしれないが、

干渉されたくないのならば、柔らかな拒絶の仕方を身につけるほうが良いだろうと思う。

 

笑顔で、雰囲気を壊さずに逃げる手段を身につけるのが先で、スピリチュアルな仲間とはしゃぐのは後にしたら良いと思う。

 

スピリチュアルビジネス界隈は金を巻き上げようとするハゲタカの集まりみたいなもので、善良なフリをした下賎の集まりにひとしく、

そういった意味では観光地やアイドルのコンサートや、ただのフェスのほうがよっぽど安全だろう。

 

フェスでの振る舞いがわからないと不安に思うこともあるかもしれないが、ネットで調べればいくらでも情報は得られるし、一人でできることが増えるのは楽しいと思う。

 

スピリチュアル界隈以外で好きな事を見つけたらいいと思う。

 

生きづらさは誰だって抱えているんだから、自分で自分をあやしてやる他ない。世の中には健全な遊びが山ほどあるのだし。

 

高額な友達代を払って、一時の快楽を手にするくらいならば、

もう一度なにかを学び直すのも良いと思う。

せっかくならば、しっかりとした学びにお金を使ってみては、如何だろうか。

 

学びこそ、たった一人を飼いならす行為に他ならないと、私は思う。

 

まあ、キラキラしいものが好きならばデパートのコスメカウンターでフルメイクしてもらったり、

可愛いコスメを買って使い方を詳しく教えてもらえば良いと思う。

 

スピリチュアルイベントに使うくらいのお値段で手軽に美と知識が手に入る筈だ。

 

ヘアサロンでイメージチェンジだって、パーソナルカラーを調べることだって、メイクレッスンだって、

 

なんだってできると思う。

今単純に思いついたのはこれくらいだが、まあ、それぞれもっと何かあるんじゃないかなあと思う。

(キラキラ系に疎いってのがバレる…この浅はかな考えよ…)

 

 

孤独を受け入れる覚悟さえできれば、

縋る藁は存外たくさんあるものなんじゃないだろうか。

 

一人でいられない大人はみっともない。

アウェーに足を運ぶ恐怖は誰だって持ち合わせているのだ。

 

それでも皆勇気を持って一歩踏み出しているのだ。

 

友達代なんて情けないことにお金を使う必要はない。

 

共同体幻想は今や昔の話である。

今は共存、共栄をもとめられる時代であり、その為にはまずは、個である必要がある。

 

まあ、それでも甘い夢を見て、ドロドロ共依存しながら、共同体幻想の中で教祖様にお金を吸い上げられたいなら、ご勝手に。

 

ただ私はなんて可哀想なんだと憐れむだけだ。