キラキラハッピー教祖様とお金のあり方

あらあらまあまあ。

まずはこちらのブログをご覧下さい。

 

https://ameblo.jp/happy-sekainoowari/entry-12430386887.html

 

《仕事の依頼でHappyさんから連絡があったとき、

打ち合わせに行くと、そこにいたのはプロデューサーでした。

ブログに書いてあるような世界ではなく、

ビジネス交渉がはじまりました。

 

普通のビジネスを、引き寄せのように出しているだけです。

そしてその裏にいるプロデューサーたちは、

出会い系で若い女の子と夜な夜な遊んでいる、そういう人間性の方たちでした》

 

との事で。

 

元ビジネスパートナーさんにも手の平を返されてしまったようである。

 

あの界隈のどなたかは知らないが個人特定の恐れもある中でよくぞ声を上げられたと思う。

 

プロデューサー界隈の人間性まで切り込んでいるし、相当の勇気と覚悟を持って筆を取られたのだと思う。

 

私が知っているプロデューサー界隈の人間と同じであるのなら、まあ、若者であるしそういう事があってもおかしくはないだろうな、と思う一方で

 

仕事仕事で忙しいとうそぶいている事がバレてしまっているようだ、と思う。

 

ただ、マルチビジネス界隈の若者と同じで1の経験を10として語っている可能性もあると思うが…。

 

言い方は悪いが私には彼らが女性慣れしているようには見えなかったので、まともな女性経験がないんじゃないかと余計な心配をしていた。

 

どうもキラキラハッピー教祖様以外のプロデュースを担当したスピリチュアル教祖様の取り巻き達と旅行をした際も、

(結局何が目的の旅行かわからなかったが、私は実際に旅行に行った方から話を伺っている。)

 

当たり前であるが何もなかったようであるし…。

 

真相は藪の中である。

 

まあ、ビジネスパートナーさんもよっぽどおかしな界隈だと思っていたのだろう。

 

皆身勝手だし、お金があれば幸せだと思っている界隈だと思う。

 

勿論、お金がある事は有り難い事だし、

ないよりあったほうが良いと思う。私だって純粋にお金は欲しい。

 

ただ、お金はツールの一つなので、そこにばかり囚われすぎるのもまた不自由さや必要以上の苦しみを生み出すのではないかなぁ〜なんて私は思う。

 

この界隈の方のあるツイートにこのようなものがあった。

 

《私はあくまで「お金」にフォーカスします。

なぜならお金は両親、恋人など周囲の人に幸せを与える事ができるから。

幸せとは高級品やブランド物のことではありません。

 

例えば高齢の両親に仕事をやめさせてあげられる。 住みやすい家に引っ越しさせてあげる。

綺麗事でこういう幸せは作れないよね。》

 

まあ、そうだよね。

 

と思う反面、果たして自分の思っている幸せが相手にとっての幸せだと限らないので、そういう視点が入るとなお良いのではないかと思う。

 

ちょっとだけ、自分の思っている幸せを、押し付けがましく与えているようにも見えなくないからだ。

 

高齢の両親は仕事をする事が生きがいかも知れないし、仕事をしなくなった途端に老けこむかもしれない。

 

住みやすい家より地域の繋がりを感じられる場所が好きかもしれないし、

親しい友人とたくさん話せる環境が好きかもしれない。

 

あるいは、どんな場所であれ、子供と一緒に居られる環境が一番幸せかもしれない。

 

何が幸せなんて、幸せを与える側が決められる事ではないのだ。

 

幸せを与えるという観点から見れば、必ずしもお金は必要なものだとは限らないと私は思う。

 

勿論、幸せにする選択肢の幅は広がるし、お金があるに越した事はない。

 

ただ、本当に相手を幸せにしたり思い遣ったりしたいのならば、

 

まずは相手の気持ちを考える事が大切だと思う。

 

例えば仕事を辞めたい高齢の両親にお金がなくて仕事を辞めさせられなくても、

 

皆で一緒に居られるだけで、両親は幸せを感じるかもしれない。

 

お給料日にちょっとだけ贅沢なお酒を買うのが幸せかもしれない。

 

孫や子供に小さい金額だけれどもお小遣いを渡すのが幸せかもしれない。

 

だから、お金があれば幸せ、というのはちょっとさもしい考え方だと思う。

 

人の幸せは人それぞれなのだから、自分の幸せの価値観を押し付けることなかれ、と思う。

 

だから、お金があるから幸せ、

なのではなく、お金があってもなくても幸せになれる、それが人の良いところだよね。

 

と私は考えている。

 

お金お金と語る人間は何故かさもしく見える。

 

お金がただのツールであるのは、結局お金で買えないものもある事で証明されていると思う。

 

だから、ツールをやたらと集めて自慢したりばら撒いたりする行為に人は美しさを感じないのではないだろうか。

勿論、正しく使えば多くの人を救うことも出来るし、とても便利なものだと思う。

 

火や水やナイフがないと人が生きていくのが難しいのと同じで、お金がないと人が生きていくのは難しい。

便利なものだからたくさん欲しくなるのもわかる。

 

ただ、幸せという観点から見れば、絶対的なものではないと思うし、たくさんあるからといってその人の人格を保証するものではない。

 

お金がたくさんあるから尊敬するとかされるとかは人のあり方としては少し違う気がする。

 

たくさんあるのは、すごいと思うけれども、

 

そこばかりに囚われている人を見るとなんだか貧しく見えるのは

なんだか不思議であるなあと思う次第である。