自立について思う事

自立というのはなかなか広い意味を持つよなあとは思うのだが、

 

精神的な自立はやはりいい歳こいた大人には必要なものだと思う。

 

キラスピ、偽スピに騙された、もう立ち上がれない!!辛くて辛くて苦しい!!私が悪かった、私が馬鹿だった、何もかも失った。

一体、どうして、私がこんな目に…。

これからどうしたらいいの…。

どうしたらいいのかすらわからない、だってもう何にも無いんだもの…。

 

 

と嘆く信者様もひょっとしたらそのうち出てくるかもしれないので、記しておきたい事がある。

 

私はスピリチュアル的なアレに何故か縁が深い時期があったのだが、

 

その自らの経験より敢えて、

死ぬほど苦しみ、嘆き、落ちぶれる必要がある事もあるし、 

そういったときには優しい人々の優しさに縋り付きたくなる気持ちも十分わかるのだが、

 

そこで自ら立ち上がらねばならないし、立ち上がる事が出来なければ延々と苦難が続くだけだから、どうか頑張って欲しいと伝えたい。

 

本物のスピリチュアル的な方々は

人生の路頭に迷い、七転八倒を繰り返し、

あまりの苦しみに慟哭し、嘆き、

張り詰めた糸がフッと切れた瞬間に簡単に自らの命を捨ててしまいそうな、

 

そんな這々の体の人間に追い討ちをかけて、場合によってはとどめを刺しにくる。

普通にマジアイツらデビル、と思うだろうと思う。今思い出しても、ちょっと引く。

 

それが、おそらくは本物のスピリチュアルの世界である。

 

いやいやいや、

人の心があったらどう考えても同情するでしょ、

本人だけの自己責任じゃないでしょ、

なんなら被害者でしょ、どう考えても可哀想でしょ、本人悪くないでしょ

 

ってな人間に対してもゴリッゴリに理詰めで追い込みに掛かる。

 

そういう被害者意識がそもそも駄目なんだとか、

 

毎日清く正しく生きている清廉潔白な人間だって永きに渡る因果律を超えられずに今世では見るも無残に殺される事だってあるし、

それだって自らの行いが返ってきているに過ぎないので、

ただただ、そういうものなのだ、

とか、このブログよりよっぽど理詰めで厳しく言われ続ける。

 

(勿論それ以外のスピリチュアル的な要因についてもしっかりフォロー&解説をしてくれるが、まあ、ほぼ100%自分のせいだから、ここは割愛する。というか自らが変わらなければ、スピリチュアル的なアレもコレも意味が無いのだから、正直無意味。)

 

当たり前であるが、もう一度人生を歩みだす為には

何も出来ない状況に陥るまで落ちぶれた自分を受け入れるしかないのだ。

 

自らの行いを嘆くばかりの心根が、

誰かがなんとかしてくれるだろうという

依存心が、

 

その現実を連れてきたのだ。

 

自覚して、自ら立ち上がるしかない。

 

だから私は何度でも記そうと思う。

 

スピリチュアルはあなたを救わない。

教祖様はあなたを救わない。

神も恐らくあなたを救わない。

 

この世の誰一人としてあなたを救わない。

 

生まれた時からずっと、あなたはたった一人の一人っきりで、

地獄の様なこの世をサバイブするしかない。

 

どうしたらいいもこうしたらいいもない。

去っていった人は返ってこないし、教祖様に使ったお金は返ってこない。

 

ハピハピ★スピリチュアル、心を緩めていいんだよーしていた時間の一切は戻ってこないし、

失った若さも、信頼も、友人も、仕事も、何もかも戻ってこないだろう。

 

ここで、どうか、ああなんて可哀想な私、と嘆く心を改める良い機会を頂いたと思って欲しい。

 

可哀想な私でいても、誰もあなたを救わない。

優しい人々があなたに優しい言葉をかけてくれるかもしれない。

場合によってはあなたを助けてくれるかもしれない。

 

でも、あなたは決して救われてはいないのだ。その心根を改めるまで何度も何度でも苦難は受難は続くだろう。

 

あなたの心根が変わっていないのだから。

 

他人からみて、どう考えても不幸な人生に思える人がいたとしても、心根がしっかりしていれば、彼らの人生には多くの幸せがあり、

彼らはいつも幸せを感じているだろう。 

おそらくはやがて人生がひらかれていくだろう。

 

他人に幸不幸は決められない。

 

私は不幸ですと嘆けば、優しい人々は不幸な方々をほおっておけないだろうから、きっと優しくしてくれるだろう。

 

だが、私はそれは本当の優しさでは無いと思うし、他人の幸不幸を決めつける浅はかな図々しさがあると思う。

善意しかない分、ある意味ではタチが悪いかもしれない。

私は恐らく悪者扱いされる事だと思うし、優しい方々にとっては不快で煙たく、反感を覚えられるだろうと思う。

 

自分の善意を否定されるのだから、良い気分になるわけが無い。

 

非常に心苦しく思うところではあるのだが、私は自らの経験から、敢えて谷底に落とす優しさや、敢えて傷ついた人々に苦言を呈する優しさがあると思っている。だから敢えていおう、それは、優しさではない、と。

 

単なる刹那的な同情であり、共感であり、あなたは自分を他人を介して慰めているに過ぎない。それも形を変えた共依存に他ならない。あなたの優しさは人を救わない。

 

勿論、厳しい事を言う人は選ぶべきだが。

 

だが、いずれの時にか自立するより他ないので厳しいようだが、恨まれる事承知で記そう。

 

全てあなたが選んだ事なのだから、受け入れるより他ないのだ、と。

そして、あなたはそこからサバイブする他ないのだ、と。

それ以外あなたのすべき事など何も無いのだから。