大人と大人子供のお花畑

色々あってキラキラハッピー教祖様の初期プロデューサーのツイッターアカウントを久々に見た。

 

相変わらずアムウェイっぽいというか、情報商材くさいというか、

 

まあ、単純に言えば気持ち悪い。

 

「4年ほぼ毎日続けてることは、ドラゴンボールのアプリと読書と仕事くらいしかないなあ、と思う朝。」

 

とか、いや、普通に考えて、読書が好きならわざわざ書くまでもないような普通の事だし、仕事は大抵の人間がしている事なので、なんの自慢にもならないだろう。

 

この文章一つとっても、教養の無さや客観視が苦手な事、社会から爪弾きにされている事、他者とうまく関われていない事がよくわかる。

 

真に読書している人間ならば、わざわざ本をたくさん読んでまーすとは言わないだろう。別に苦もなく楽もなく読んでいるので、人に報告するような事ではないからだ。

 

読書は個人的なものであり、ファッションではないのだから、それをしていると公言し、ひけらかす意味が全くわからない。まあ。プレッシャーをかけるという意味で公言する事もあるのだろうが。

それじゃ自慢にならないよな、と思うのでやはり上記の文章の意図がわからなくなる。

 

 

また、真の読書好きは自分よりはるかにたくさんの本を読んでいるだろう人々がいる事を知っているので、いちいち毎日読んでまーす、ということがどれだけ阿呆っぽいのかをよく知っているので、そんな風に言わない人が多いと思う。

 

では、毎日読書が普通だと仮定した場合、どれだけなら自慢できるのか考えてみた。

 

私の知り合いに、一日10冊本を読む人物がいるが、彼は1冊だけを読む事が出来ず、(曰く、思考や思想が偏ってくるし、集中力が欠けるからだそうで。)ジャンルの違う本10冊を床に広げて並行読書する。

そのくらいなら自慢してもいいかもしれない。

まあ、変わっているが、読書スタイルは人それぞれだし、

天才と〇〇は紙一重のいい例だろう。

 

読書は別に量ではないし、結局どれだけを自らの学びや追体験にするかということが重要だろうと私は考えている。

 

 

彼の界隈では多読できる人物も、毎日読書する人間も少ないのだろう。

 

そんな人物にコンサル頼むのは、どうなんだろう?

私なら不安だ。自分よりも世界が狭すぎる人間に何をこえばいいのかわからない。

 

社会の中で成功したい人々が、社会から爪弾きにされているであろう人物に教えを請うのはおかしいと思うし、

 

そもそも、社会に対する見識が狭すぎると思う。

 

まだまだ若いとは言え、恐らく三十路前後の筈なのだから、世の中の三十路前後と同じくらいの経験したり、見識を深めたりする機会が無かったんだろうな、としか思えず、

 

この先年齢を重ねれば重ねるほど年相応の教養が無く、求められる最低限すら持ち合わせていない事が明るみになるのだろうから

 

なんというかご愁傷様である。

 

情報商材界隈もそうなのだが、彼らがバカにしている社会人やサラリーマンやらの方が

 

世の中をサバイブしていく力があると思うし、世の中を良くしていく役に立っているんじゃないかと思う。

 

まあ相対的にみてではあるのだが。

 

自分と社会の折り合いをつけることや、自分を曲げて世の中に迎合する事は、サバイブしていく上で必要な経験になると思う。

 

決して格好悪い事ではないし、くたびれて寂れてダサい訳じゃないと私は思う。

 

折り合いをつけて、社会と自分の一番良い接点や付き合い方を見つけ、互いにベストパフォーマンスを発揮できるよう研鑽するのが大人だと思うし、大人に求められる事だと思う。

それは、自立と自律を果す事に他ならない。

 

社会と折り合いをつけている人間を社会に屈したと揶揄する人間のなんと幼く浅慮な事か。

 

勿論やり過ぎ厳禁ではあるのだが。

 

世の中と対立してまで通さねばならない自分というものを持ち合わせ、そんな自分こそ素晴らしく、

それを美談的に仕立て上げようとするあの界隈は、頭の弱い大人子供で溢れていて

 

まさに厨二病の末期症状、あるいは亜流のピーターパン症候群、歪んだファンタジー世界で生きる奇妙な人々である。

 

だから、気持ち悪いと思うのではないかなと考える次第。

 

大人子供は語彙力があろうとなかろうと、話にならない。

 

頭の中のお花畑でお花つみを一緒にしてやれるほど世の中の大人は暇じゃない。

 

せいぜい一緒にお花つみしてくれるお友達と仲良しこよししていてほしい。

 

大人の世界は怖い怖いだから、お花畑から出ちゃダメダメよ〜、とでも言っておこうか。

 

単純に、自分で自分の後始末も出来ない、人に迷惑や不利益を振りまく人々に出てこられても困るというだけの話である。