SNS狂想曲

様々あって仕事上、SNSを使って情報の拡散をしなければならなくなった。

 

プライベートの私のSNSの使い方と言えば、情報の拡散より収集の手段として使う為、

仕方ないとは言え、いちいちいいね!やフォロワー数やアクセス数を確認する作業は、ものすごくしんどい。

 

心がズゥンと重くなり、ああ嫌な作業の時間だわあ〜と思う。

 

キラキラスピリチュアル界隈はよくもまあこんなしんどい事を例え欺瞞にしろ良くやるものだと思う次第。

 

数が大切であり、力を持つという指針で見ていくと、はじめの伸び悩みの時期というのはなかなか見ていて面白いものではないし、無用の劣等感が生まれてしまいそうになる。

 

SNSの使い方もある種のセンスが必要なのだろう。

 

コンテンツを育てていくのは大変だ。

 

まあ、私の場合、実験的な側面もあるから目論見通りに行こうがいくまいが、

それ自体がなにがしかの成果になるわけだからまだ救いがあるものの、

そうではないキラキラスピリチュアル界隈はなかなか大変だろう。

 

数を増やして成功しなければならない。

そのためには嘘でもいいからキラキラハッピー素敵な毎日を発信し続けなければならない。

 

ある意味で幸せの形や成功の形が決められているものだから、そこから外れてしまう事が、無用の苦しみを生み出していくのだろう。

 

自分が身をもって数字を上げる視点でSNSを使う経験をしてみると

彼女達の視野狭窄的な苦しみや息苦しさ、思考が凝り固まっていく様がよくわかる。

 

これは相当しんどいだろうなあ〜。

 

まあ、嫌ならやめれば良いと思うが、なかなか認知の歪みが進行していると、まだ、まだ諦めたくないという気持ちになるのだろうな、と思う。

 

キラキラスピリチュアルに嵌るのは自由だが、自由な心を手放して心酔するのは如何なものかと思う。

 

できれはオフラインにも軸足を作って、楽しむのが良いと思う。

 

ああ煮詰まってきたな、と思ったらブラウザを閉じて、安心して帰れる場所があるといい。

 

SNSは自分自身の価値とは別物なのだから。

 

そこで評価される事が現実世界に変革をもたらすきっかけになる事もあるが、

それは単なるきっかけで、キチンと中身が無ければ意味がない。

 

いつの日にかSNSが現実世界を超える事があるかも知れない。

SNSという仮想現実の世界で戦い抜くリテラシーも身につけなればならないのだろう。

 

とはいえ、私の場合はどうにもこうにもこういったものに疎いわけで。

 

いつの日にかSNSが不得意な事も一つの生きづらさの原因にならないと良いなあと思う。

 

単に苦手なものが増えてる欲しくないだけなのだが。

 

本当に、皆様、よくSNSを頑張っていらっしゃると尊敬します。

 

SNS、プライベートでは私にとってベストな付き合い方を続けていきたい。

 

ああ!またいいね!やフォロワーの効果測定の時間がやってくる、とウンザリするのは十分だから。