ワンネス考

良くワンネス、と言う人々がいる。

 

私の出会った某ガチスピな方々に言わせれば究極的にワンネスとは自分達の存在を否定する事に繋がるらしい。

 

某所から概念をかなり無理矢理西洋的に翻訳してそうなったらしく、

その言葉の本来意味するところとだいぶ違うことを問題視していた。

 

まあ、別に様々な考えがあっていいと思うし、思想や信条として認められるべきだし、私は非常に面白い考えだと思う。

 

でも現実社会に落とし込むのはなかなか難しいのではないだろうか。

 

我々現代人は所有意識を持っているし、承認欲求を持っている。

 

それは他者と自分を無意識的にしろ別物と位置づけているからに他ならない。

 

自他の区別がつかない事は社会生活を送る上でかなり問題になる。

 

アダルトタルドレンしかり、毒親問題、共依存しかり。

 

ワンネスの思想や感情、哲学そのものは否定しないが、

それをそのまま社会に持ってくるのは非常にナンセンスである。

 

ヒッピー文化は根付かなかった。

新しい村は100年過ぎて寿命が尽きそうであり、共産国家は未だに成功しない。

 

ワンネスと今現在の私達の暮らしている社会は非常に相性が悪いと思って間違いないだろう。

 

内面世界でそれを求めるのは自由であるし、私も絶対的に否定できるものではないと思っている。

 

ある一面においてそれは真実なのだと思う。

 

だが、現実世界のサバイブにはあまり役に立たない思想だとも思う。

現実世界を少しでもよくしたいとか、良き世界になるように働きかけたいと願うのならば、ワンネス的思考や思想は内面世界に留めるのが良いと思う。

 

私達の今生きる社会は、他人の挨拶や笑顔やちょっとの親切を素直に受け取れないような有様である。

 

そんな社会の中でワンネスを唱えれば、よくて搾取、悪ければ命まで取られかねない。

 

それらワンネスの理想を現実化するためには草の根的な活動からはじめるしかない。

 

本当にそんなところから?と思ってしまう事からはじめるより他ないだろう。

 

搾取してやろう、とか、弱肉強食を唱え行動する人々が多い世界の中で、自己の拡大や自己を捨て去ると言うのはあまりに危険であると私は思うからだ。

 

一足跳びに、現実世界もワンネスなんだ!とユリイカするのは、ちょっと待って欲しい。

いや、するもしないも究極的には勝手なのだが。

 

素晴らしい思想であると思うし、ある一面においては真実だと思うが、それを多くの人々が理解し、

 

受け入れていない限りは現実世界では単なる妄想と変わらないし、

生きづらさを抱える要因にもなるだろうから、

 

まずはご近所さんに挨拶するとか。

家族を大切にするとか。

自分の持ち物や住まいを大切にあつかい、しっかりと手入れするとか。

同僚一人一人に感謝するとか。

与えられた仕事を最大限しっかりやり抜くとか。

 

もう、そんなレベルからやりましょうよ。で、ワンネスを実行して欲しい。

 

全てが同じならば、全てを自分と思い、大切に大切に扱って欲しい。

 

それも出来ないうちは、外側の世界にワンネスを求めるのはナンセンスだ。

 

ちなみにガチスピにみっちみちに絞り上げられた私の経験からいくと、ワンネスは一切の救いがなく、無意味さを内包していると思っている。

 

決して否定するわけではないのだが、巷で語られるような幸せで安定していて愛に溢れる静謐な世界でないと感じている。

 

いや、究極的にはそれが愛なのかもしれないが、それは矮小な人間社会で語られる愛とは違うようである。

 

だから、愛とか安寧だとかの一面だけを都合よくとって、人々が憧れる静謐なワンネスとは、

 

(幻想だとしても弱っている人や生きづらさを抱える人が自分を取り戻せたりする良い一面もあるとも思う、が、それは本論から逸れるので掘り下げない。)

 

今共に生きる他者の存在を知らず知らずにぞんざいに扱う事にも繋がりやすいから、重々気をつけねばならないし、結構取り扱いが難しい思想だと思う。

 

まあ、皆で一つ一つは皆に繋がると心底理解でき分かっていれば、

一足跳びにではなく、

ちょっとずつ現実的に自分が出来る事からはじめられるだろうし、

それは、ワンネスワンネス言うより求めるより早く皆で生きやすい社会が作れるかもって話ですわ。