教祖様の魔法がとける頃
最近教祖様界隈をふらふら眺めていると随分と金策が苦しいのだなあとしみじみとする。
どの教祖様も余裕のある時や野心に満ち溢れている時にはあんなに
素晴らしい?デマカセが滔々と口から溢れ出していたのに、
最近はどうした事だろう、雑でカリスマがなく、錆びついたナイフのように切れ味が悪い言葉しか出ていないではないか。
先日、某女性誌で引き寄せ界隈の教祖様(私はよく知らないのだが、300万円の講座をしたり、自称設定変更で病も治す方らしい)を見かけたのだが、なんだか妙に貧乏くさく、目にも留まらないようなレイアウトだったので、
いよいよもってしてこの界隈の終焉を感じている。
まだこの界隈にしがみついている人々というのは、社会復帰を諦め、夢の世界で生きる事を決意した人々なのかもしれない。
情報商材界隈や、サロンビジネス、インスタグラマーにブロガー達も次々と根を上げたり、引退したり、はたまた悪あがきを始めたりと
騒がしいのも、また春らしい事だなあと思う。
新陳代謝を繰り返して古い細胞はゆっくりとだが確実に朽ちていく。
教祖様達は何よりもそれを恐れているに違いない。
だから炎上狙いやアンチ煽りのような先鋭化を始め、なんとか注目を集めようとしたり、突然海外に旅立ったり、新規事業を始めようとする。
でも、もう賞味期限が切れている。
賞味期限が切れてしまったものはいずれ捨てられる。
水商売は、人気商売はなんて残酷なのだろうか。
エンタメの消費速度はどんどん上がっていて、
コラボだ新規だなんだと必死に延命措置をはかるがそもそも延命措置が必要な時点で貧乏くさくて、しみったれているものを大衆は好まないのだから、余計に人々は離れていくだろう。
皆、何かに夢中になりたいのだ。
でも、皆、同じでいることは出来ないから、飽きてしまうし、散々無駄に過ごした時間の重さを量り始めてしまう。
自分で思考する事は同時に分離を呼び起こすのだから、少なくとも私は良い傾向だと思う。
教祖様方もそろそろ狂った宴をお開きにして、それぞれの日常に帰る頃なのだろう。
5時の鐘がなったなら、夕焼け小焼けが流れてきたら、
王様お姫様ごっこはもうおしまいにして、
お城に見えたジャングルジムも馬車に見えた動物達も素の姿に戻してあげて、
くたびれた団地に、古びた一軒家に、あるいは小さな四畳半に帰らなくてはいけない。
魔法はただの魔法に過ぎない。
圧倒的な現実には敵わない。
それぞれの現実を、生きるしかないだろう。
願わくば良き道を。