アダムの歌

素晴らしい芸術作品に出会うたびに私はいちいち神に感謝をしてしまう。

 

ああ、やはり神は私達を見捨てていないのだ、世界にこのような美しいものをお与えになるのだから、と。

 

神の愛は間違いなくここに示されている、と。

 

罪深き私達に、汚濁に塗れたこの世界にそれでも一縷の光を、美しさをお与えになるのだ、その愛の深さに、ただただこうべを垂れるしかない、と。

 

なんて素晴らしい、なんて美しい、心の底から感謝致します、と。

 

いちいち大袈裟なんだよなあと思いつつも、いちいち大袈裟に感動してしまう性分なので仕方ない。

 

感受性の豊かさや審美眼の厳しさは時に生きづらさに繋がりやすいのだが、人生を馥郁たるものにする素晴らしい美点だろうと受け入れてみると、これが存外役に立つのである。

 

まあ、見方一つであるなと思う事の一つである。感受性の豊かさに、審美眼の厳しさに苦しみを感じている方がいらっしゃれば、ぜひご参考までに。

 

下衆な言い方をすれば、同じ金額をだしても普通の人の3倍くらい得してますよいちいち感動できるタチの人はって話である。

 

これまた最近神に強烈な感謝をした事があって、

maroon5の東京公演に足を運んだのだが、やはり彼らは素晴らしかった。

 

基本的にはヒット曲のみのセトリだったので、わかりやすく親しみやすいライブだったと思う。

lost starsが聞けて良かった。

 

この曲の一部をご紹介。

 

「God, tell us the reason
神様,どうか教えて欲しい
youth is wasted on the young
なぜ若いときに青春を無駄にしてしまうのか
It’s hunting season
and the lambs are on the run
狩りの季節に迷える子羊が走り回るSearching for meaning
なにか意味を探し求めて

(意訳.今は狩りの時期だから、ハンター達に置いたてられて、迷える子羊達は人生の意味を探しながら憐れに走り回る事しか出来なくて)
But are we all lost stars,
僕達は銀河を迷える消えかけの孤独な星で

Who are we?
僕達は何者なんだろう?
Just a speck of dust within the galaxy?
銀河の中のちっぽけな星屑に思える

(僕達は広大な暗闇を照らそうとする憐れな星屑にすぎないのだろうか?)

Woe is me,

僕の存在って何なのだろう

if we’re not careful turns into reality

油断したら誰でもなくなってしまうようだ

(ああ悲しい、虚しい。

気を張っていなければどこかに消えてしまうような、僕達はそんなちっぽけな存在なのだから。)

 

Don’t you dare
let our best memories bring you sorrow
どうか、思い出を悲しいものにしないで
Yesterday I saw a lion kiss a deer
昨日ライオンが獲物のシカにキスをしたのを見たんだ

(そんな事があるように)
Turn the page maybe
きっとページをめくれば
we’ll find a brand new ending
今とは違う別の結末が待っているはず
Where we’re dancing in our tears and
涙を浮かべながら二人で踊っているような」

 

まあ、歌詞の翻訳は難しいし、私は苦手なので厳密な翻訳を求められても困るので、気になる方は和訳サイトを5つくらい回って欲しい。

 

高く澄み切った歌声で人生の、あるいは恋愛の虚しさや悲しみや、僅かな希望をメロディに乗せて伝えてくれている。

 

人生の虚しさは自分だけが感じているのではないし、様々な文化を知るにつけて

人はやはり、どんな背景があれ同じ生きものなのだなあと感じる事が多い。

 

私も道理に詳しいわけではないのだが、人の心の機微や、美しいと感じるものがどんな人種でも国でも文化圏でも同じだとしるたびに、どうもこの辺りに道理があるのかなあと思っている。

 

素晴らしい芸術をありがとう。