3.11考

最近なんとなく忙しいなあ〜くらいに思っていたのだが、思っていた以上に体に疲れが溜まっていたらしい。

 

肋間神経痛やら胃炎やらが一気にやってきて、昨日は気絶したように寝込んでいた。

久々の体調不良である。

 

驚くべき事に毎度体にガタがくるまで疲れに気付く事が出来なかったりもするのだから、まあゆとりや余裕は意識しないといけないなあと思う。いつも、倒れてから、そう思うのだが。

 

昨日は3.11であった。

当時の私はライフラインが全て止まった世界で何日か過ごしたのだが、奇妙な事にライフラインが復旧して後、たくさんの情報に触れるようになってからのほうが不安やら恐怖やらを感じたなあと思い出した。

 

世界の終わりはこんな風に静かで穏やかなのかもしれないと、3月の雪の中で考えていた。

 

電気のつかない世界では仕方なしに日が暮れれば家路に着いて、眠りにつき、朝日が出れば、目の前の世界と対峙するしかなくなる。

田舎は車社会であるから、電気よりもガソリンが死活問題だったよな、とか、食べ物も飲み物もそうであるが、3月とは言えまだ寒かったから温かい事が何より嬉しかったな、と思う。

携帯の充電がなくなる事もまあ、困った問題だと感じた。

 

今でも、フクシマ、ツナミ、忘れない。という事を繰り返し繰り返しメディアは語るが一方で、復旧に尽力している人々や風評被害と戦っている人々を見ると、マイナスの被害者意識にいつまでも留まっているばかりではないのだから、

 

記憶や記録はそれとして、

 

それを乗り越えていく力強さやしなやかさと、うまくブランディングに利用してしまう賢さ、あざとさもポジティブに取り上げてほしいなと思う。

 

終わったことや済んだことをグズグズ言うような東北人は意外と少ないし、皆、しようの無い現実を受け止めて、しっかりと生きているのだから。

 

それは死者や悲しい記憶を、風化させる事とは別問題である。

 

もう二度と会えないのならば、絶対に喧嘩しなかった人、

家に置いて来てしまった寝たきりの家族。

連れて逃げる事ができなかったペットや、あの日からずっと連絡が取れない家族や友人。

 

それらを全てひっくるめて、私達は今日も生きているし、町を、世界をもう一度作り上げていこうと努力している。

 

そういった人々の生活がある事を忘れずに、どうか、放射能問題や、様々な事を語って欲しいなと思う。

 

それでも私達は前を向いて生きているのだと、目に見えない思いをたくさん抱えながら生きているのだと、他者に対して少しでも想いを馳せて欲しいなと思う。

 

誰かのお陰様で私達は今日も生きているのだから。

 

騒がしい渋谷でそんな事を考えている。