信者様方よ、卒塔婆小町たれ
春分点を過ぎて幾星霜。
春分の日には、高熱に苦しんだ私であるが、やっとこさ体を動かして鏡を見てみればその相貌はまるで卒塔婆小町であった。
ざっくりあらすじをまとめると、高野山の僧の一行が出会った朽木の卒都婆※に腰掛けている乞食の老婆。この老婆、実は、かつて絶世の美女で、数多くの浮名を流した有名な歌人、小野小町である。
僧は、老婆が仏を粗末に扱っていると断じ、その振る舞いを正して卒都婆から立ち退かせようと、説教を始めるが、老婆は、非常に含蓄のある言葉を返し、言い負かしてしまう始末。
老婆をただ者ではない、と感じ取った僧。僧が老婆に名を尋ねると、老婆は「小野小町のなれの果てだ」と明かす。
小町は、美貌を誇った往時を懐かしみ、翻って老いを深めた今の境遇を嘆く様子を見せた後、突然狂乱状態となる。
このとき、小町には、かつて自分を恋慕した深草少将の怨霊が憑りついていたのだ。
深草少将とは、百夜通いを言い渡された小町に焦がれた男性である。
深草少将は九十九夜まで通ったのだが最後の一夜を通う前に死んでしまう。恋を成就できなかった深草少将の怨念が残り、老境の小町を苦しめていたというわけ。
それにしても後の世を願う事は真であり、小善を積み、仏身となるように、花を仏に手向け、悟りの道に入りましょうと、小町は悟りの道に進む事を望む。
まあ、的な内容である。
詳しく知りたい方はぜひとも調べてください。
私が思うに、スピリチュアル系にハマる信者様方界隈は、いずれも、生けるものすべてに訪れる「老い」を受け入れられず、他責的に生きていて、物心根幹を考える事が苦手な人が多いように思う。
今やあなたがどんなに理不尽な環境にいようとも、どんなに辛い目にあっていようとも、究極的には全て自分の選択によるものなのだと言う事を忘れてはならない。
私はこの言葉をガチスピ系からかけられたときいやいやいやいやマジ何言ってんの!?はあああああ!?病気も、キチガイみたいな上司も理不尽な環境も全部全部私のせいって事??はあああああ!!
そんなわけあるかフザケルな!!
と思ったものだが、
今はすんなり受け入れられる。
そうだよな、そうなんだよなと。
病気は苦しいけれどもそこから学んだ事もあったし、周囲に感謝しかない。
理不尽な環境から抜け出すために努力した事は何一つ無駄になってはいないし、他人のせいにして文句ばかり言う馬鹿馬鹿しさに気がつくことができたし、頭のおかしな人間に出会えば反面教師にさせてもらう。
スピリチュアルには詳しくないが、全てが因果応報とすれば、苦しい時にこそ因果の巡りの中で禊を果たしているのだろう。
人には選べない事もあるし、どうしようもない事だってある。ただ、視点を広く持てばそれすらもまた有難い事であり、自分の選択したことであると受け入れる度量ができるのかもしれない。
まあ。そうは言っても理不尽な目にあうたびに私もついつい右往左往七転八倒するのだが。
そこで、私悪くないじゃん、あいつのせい、アンチが悪い、世の中が悪い、社会が悪いとするのか、今の自分にできる事は何か、道理にかなっているのはどうする事なのか、ただひたすらに淡々と為すべき事を考えなしていくのか。
これが大気な違いになるのだろうなと思う。
自らの過ちに気がついたのならば、後の世が少しでも良くなるようにと自ら努め、過ちを認め、謝罪し、また同じような人々を諌めていくべきなのだろうと思う。
キラキラ起業界隈やスピリチュアル界隈を覗くと悩める母親達が随分いるなあと思う。
先天的な病と違い、基本的には子供が生まれるにはやはり自発的な行為や意思があってから、自ら望んでこそがほとんどだと思う。大方子供を作ったのはあなたの選択ではないだろうか。
(例外は除く)
そこに、子供の責任は無いはずだ。
あるのは大人の意思である。
と、すると、あんたのせいで、という理不尽な怒りははっきり言って御門違いだし、かなり図々しい他責に思考である。
だからこそ、驚いてしまう。
子供さえいなければ、とか、
子供が可愛くない時がある、とか、
子育てが辛い、とか。
弱音を吐くなとは言わないし、言えない。
ただ、デジタルタトゥーの時代にどうして公の場でそのような事が記せるのだろうと思う。クローズドな場所で、語るべきだと私は思う。
何年か後に、自分の子供がログを漁ってその言葉を見つけてしまうかもしれない。その言葉を心無い誰かが子供に伝えてしまうかもしれない。
あなた方の自己満足のインスタやブログやツイートは、何年後かのあなたの子供を傷つける可能性がある事を忘れてはならない。
あなたの満足のためにあなたの子供の心が殺される事があるかもしれない。
スピリチュアルなどと言うおかしなものに自分の親がハマっていると言うのも随分子供を傷つけるかもしれない。
どうか、広く物事を捉えて欲しい。
また、そういう輩に限って、子育て支援が足りないとか、社会が悪いという。
確かにその一面もある。
だが、その現代事情も踏まえて子供を産む選択をしたのではないだろうか。
本当に使える手段全てを使っているのだろうか。
どうか、たくさんの人々に助けを求めて欲しい。
そして、どうかあなたの理想と現実が違っていても、自分の選択を受け入れて、現実を直視し、少しでも明るく楽しく生きる道を選んで欲しい。
どうか。
きっとそれが後の世を願う事なのだろうと、小事を積み重ねる事だろうと私は思う。