神は鈴の音、耳に残るは君の歌声

一体どこの民話だったか。

いや恐らくは日本だったと思うのだが。

 

神の声が鈴の音に似ていると言う話がある。

 

出展不明のため情報だけが独り歩きするのは避けたいのだが、まあ良しとして。

 

その話を思い出したとき、そういえばと思い当たる事があった。

 

震災時私は被災地に住んでいたのだが、仕事場から家まで暗い中(何しろ停電していたので)ほとほと歩いて帰っていると、遠くからお囃子の音がするのである。

ちらつく雪のまにまにお囃子の音が遠く遠くから微かに聞こえてくるので、ああ誰かラジオでも聞いているのかなあと思うのだが、周りを見渡しても、人っ子ひとりいない田畑が広がっているだけである。

 

気のせいかと思って歩き始めるが、びょうびょうと風が吹いてくる中で微かなお囃子の音は確かに聞こえてくる。

 

まあそんな事もあるんだな、と思った。

 

だからなんだと言う事は無い話である。

 

スピリチュアル大好きな方々はいちいち色々と現象に因果や謂れをつけようと躍起になるだろう案件かもしれないのだが、まあそんな事もあるだろうくらいがちょうど良いと私は思っている。

 

私はスピリチュアルを否定しない。

だからといって、スピリチュアルが特別高尚であるとか素晴らしいとも思わない。

 

人生の中で何度か不可思議な経験をしたことがあるが、大抵の事は私自身には因果がわからないような大きな巡りの中で行われているらしく、

わかろうとわかるまいと、起こっていることに対してアクションしていくしか無いのだから、無闇矢鱈と騒ぎ立てる必要は無いと思う。

 

必要であれば、必要な人と出会って、逃げ場を無くしてくるようであるし、

向こうは随分と勝手であるようだから、妙な憧れなど抱く必要は一切ないしスピリチュアル大好きな方々が思うような素晴らしき世界などどこにもないファンタジーだと私は感じている。

 

本当のところは知らないけれども。

 

キラキラスピリチュアルに限らず、妙に神道大好きとか、天使が、神様が、龍が、使役がと語る人々が一定数いるのだが、向こうは向こうで目的があるのだし変なものと縁を作らない方が良いだろうにと距離を置いてしまう。

 

神道にも様々な流派もあれば、ビジネス寄りのところから太古、原始に回帰していく事を目的とする団体もあり、何が正しいとか、どこがよろしいとか素人目にはわからないので、関わらない方が一番安全である。

 

結局のところそれらと縁が無いことが何よりも神やご先祖様方に守られている事にほかならないのだから。

 

そういえばsns上で神は好きにしろとしか言わないとあったが、私もそれに同意する。

 

ガチスピ系の人々が皆そう言うからだ。

 

何故もうどうしていいかわからないと嘆いている人間に対してあなたが選択しないと始まらないとしか語らないのかはガチ勢に尋ねていただくとして。

 

私はその回答に、今は感謝しているし、感謝しかない。結局のところ、それが神からの福音だし愛であるのだと多くの方が気付くと良いなと思う。

 

まあわかりやすい神がかりよりも、淡々と粛々と清らかに当たり前に生きる神がかりのほうが随分尊いようですよ、とも記しておきたい。

真実のところがどうか私はわからないが、どうもそのようであるから。