遊び方を知らないと言う事。

目の回るような日々が続いていたが、ちょっと小休止が挟めそうであり今からワクワクしている。

 

フェス参戦決定。で、ニヤニヤしながら今週を乗り切ろうと思っている。

まあ、それが最終新幹線に飛び乗っての強行スケジュールであろうとも。愛と酒があればなんのその。

 

女王蜂は良いとして、トモフスキーからの打首獄門同好会、いやindigo la Endも捨てがたい。ピーズは絶対外せないし、ピロウズを見ないとアラバキの意味がないのだけれども新幹線に間に合うかしらん。

 

と脳内タイムスケジュールをコツコツと組みかえては遊んでいる。

うふふ、楽しみ楽しみ。

 

キラキラハッピースピリチュアル界隈を見ていると、健全な遊び方を知らずに歳を重ねてしまう事の哀しみを感じてしまう。

 

ああ、きっと鬱屈とした思いを抱えたまま社会への恨みつらみを溜め込んで、発散の仕方も知らないままに歳だけ重ねてしまったのだなあと思う。

 

あのね、スピリチュアルなんて、そんなものより素晴らしい娯楽はごまんとあるんですよ、と教えたくなる。

 

当たり前だが、スピリチュアルは娯楽ではない。

 

スピリチュアルの真の目的は、魂の向上を目指していくものであり、それはとんでもない茨の道を生きながら目指す事に他ならないのであり、私は正直よっぽどお呼びがかかって、背水の陣を敷かれたあげくの四面楚歌にならない限りはやるもんじゃないと思っている。

 

娯楽なんて山のようにあるのだから、スピリチュアル界隈などと言う罪を重ねるだけの界隈になど足を運ぶべきではない。あの界隈に比べれば高田馬場のライブハウスや六本木や有楽町のクラブやバーのほうがよっぽど健全である。

 

スピリチュアルやら似非ナチュラリスト界隈やら情報商材界隈は初心者にものすごく丁寧で優しい。親切である。

だから、もうこれ以上失敗したくないとか、コンプレックスが強くて、痛い思いなどしたくないという人々にとっては安心できる、足を運びやすい場所なのだと思う。

 

でも、それは初心者から絞りとってやろうという界隈の思惑あっての事。

 

たとえ娯楽であっても自分で調べたり誰かとコミニュケーションをとって関係を深めていかない限りはリスクが付きまとうのである。

 

キラキラハッピー教祖様の次回のイベントはエチュードあり、ダンスあり、漫才ありのリサイタルのようで、そのお値段に驚愕した。

 

あのね、世の中をよっぽど知らない人以外は素人集団のナルシスティックなイベントにお金など出さないのですよ、と伝えたくなる。

 

先日足を運んだmaroon5のライブだって、2人で15000円である。

彼らは世界的人気バンドである。(某アメフトハーフタイムでの不評があったにせよ。紅白のサーチモスよりは全然マシだろうし、そんなもので人気は揺るがないはずだ。)

 

正直私は、素人演芸大会(一部プロ)にチケット代分の価値を感じない。

 

まあ、何を選ぶのか自由だけれども。

審美眼を磨いておくのも必要である。